常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪景色

2025年01月09日 | 日記
朝、窓を開けると今年初めての雪景色だった。だが道路に圧雪もなく未明の除雪車の音もない。周囲の雪どころでは、例年にます積雪だがここ山形だけが雪を降りのこしているような様子だ。北陸や四国まで雪。予報では不要不急の外出はさけるようにというアナウンスだがここはまだ本格的な雪は来ない。昨日笹谷に登った山仲間の話では、つぼ足での歩行が可能だったという。大寒から立春まであとひと月を切ったが、この冬はどんな雪景色がみられるか。
一夜明けて雪が止んだ。青空のもと朝日に昨夜降った雪がきらめいている。上山方面の山が間近に迫っている。駐車場では雪はきにでている人が見える。昨夜酒を飲まずに寝たせいか、睡眠のスコアが80,良好にあがった。雪の日の新しい時間の過ごし方。妻と見るビデオプライム。昨日は映画、「ラーゲリより愛をこめて」。主演二宮和也、北川景子。極寒の地シベリアにあるソ連収容所ラーゲリ。ソ連軍のハルピン進行で一家離散し、シベリアの収容所に送られた山本幡男の離散した家族ととの約束。収容所の強制労働の描き方はパターン化されてリアリティに欠ける。

知人に正月の過ごし方を聞いたところ映画館という答えが返ってきた。足の不自由な妻を映画館まで伴うのは無理だが、家でのビデオプライムなら好きな時間に好きなものを選んで見ることができる。映画を見て成長した詩人寺山修司は「暗闇の宝さがし」というエッセイを書いている。映画の名セリフは探しだすものと、書いている。そして見つけた宝物の哀しい言葉。

「一つおとりよ」
ピエールマッチをすって手のひらの上のガラス玉を照らして見せる。
「お星さまのかけらだ。空から落ちたんだよ」(「シベールの日曜日」)

この映画の主人公は無垢な心の少女フランソワーズと記憶喪失者のピエールだ。ガラス玉を星のかけらと思い込める純真んな心は、そのガラスのかけら傷つけられる心でもある。高齢になって見る映画は、涙を誘う。好奇心で目をギラギラさせて見た時代は、映画を見て泣くようなことはなかった。涙が出たからっといって価値の高いいい映画の尺度にもならない。
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良寛忌

2025年01月06日 | 日記
天保2年1月6日午後4時頃、僧良寛は新潟の長岡国上村の木村家の草庵で息を引き取った。享年74歳、老衰のためと言っていい。臨終の場所には仏弟子の遍澄法師、貞信尼が身辺の世話にあたり、弟の由之も家から草庵に通った。その様子は弟の日記『八重菊』に綴られている。瀬戸内寂聴の小説『手毬』には、創作を加えて、臨終の様子が生々しく描かれている。

死の二日前、逓信尼は由之と交代でお伽をしていた。

「お心にかかることはございませんか、御心持はいかがでしょうか」と申しあげた。良寛さまは薄目をあけて、まっ直ぐ私の目を捕らえ、「死にとうない」とつぶやかれた。聞き違いかと、一瞬目を大きくしたが、その私の表情をご覧になって、うっすらと微笑され、「死にとうない」ともっとはっきりいわれた。「こんなにやさしい人たちに囲まれているのだもの、この娑婆にながらえたい気がする」
もはや薬も食事も自ら断たれているようなので、私も覚悟を決めていった。
「御時世は」良寛さまは半分眠ったようなうつらうつらとした声で、
「散る桜、残る桜も散る桜」とつぶやかれ、そのままひきこまれるようにすとんと眠りに入られた。

葬儀は与板の徳昌寺大機禅師によって盛大に行われた。会葬者285人、お斎に使われ白米は一石六斗と伝わっているから、新潟の小さな村の葬儀としてはいかに大きなものであったことが知られる。知人に形見の歌と乞われて詠んだ歌

かたみとて何かのこさむ春は花
 山ほととぎす秋はもみぢば
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システム障害

2025年01月04日 | 日記
あけましておめでとうございます。今年はシステム障害で、ブログにログインできないという出来事で始まった。初め、パソコンの不備か、ネットの接続不良のせいか色々調べたがどうやらログインできないのはドコモの管理下にあるブログだけのようだ。3日になってサイバー攻撃によるシステム障害で復旧中であることが分かった。ドコモが障害が復旧したことを発表したが、ログインできない状態は3日の夜まで続いた。IDやパスワードを入れたり色々試みている間にインターネットへのアクセスも不調になりパソコンから離れた。復旧が確認できたのは4日の朝。思いなしパソコンの動作も早くなっている。

今年の正月はちらちら降る雪、氷雨と少しの晴れ間が見えるというすっきりしない天候であった。氷雨の日は階段を、小雪の日は外に出て散歩道を歩いた。最近は正月の門飾りが少なく、スーパーも元日は一斉に休日になっている。ひと昔前、元日営業が行われて話題になった。買い初めは2日の定番であったがそんなことも気になるような年でもない。
三日になって千歳山に雪が見えた。日中も0℃前後で朝の散歩も寒い中だ。年明けも朝散歩は続けているが、足の動きが軽くなっていることに気づく。グーグルウオッチとFitbitアプリが年明けから年老いた足をサポートしてくれる。前日の睡眠状態を計算して、その日の運動に身体の準備ができているどうかを示す機能がある。毎朝エナジースコアが点数で示される。今日のスコアは68で非常に良好。その判断に影響を与えるものは心拍変動と一週間の睡眠。身体は十分に回復している。さらにストレススコアの項目もありこちらもスコアで示される。今日のスコア75。スコアが高いほどストレスの身体的兆候が少なく、ストレスに対処準備が整っていることを示している。Fitbitにはこのほかにもさまざまな機能があり、ウォッチに積極的に触りながら、健康管理に役立てる年にしたい。
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大晦日

2024年12月31日 | 日記
昨日の抜けるような青空から一転、氷雨のなかの大晦日になった。道路や散歩道に、雪のない新年になりそうだ。守歳という言葉がある。中国の風習だが、大晦日は寝ずに新年が来るのを待つ。これが守歳である。そういえば、自分も若い頃は除夜の鐘を聞きながら、新年が来るのを酒を飲みながら待っていたものだ。テレビから流れて来るのは、日本各地のお寺でつく除夜の鐘。その様子を語るアナウンサーも新年を待つおごそかな雰囲気を漂わせていた。

故歳 今宵尽き
新年 明日来る
愁心は斗柄に随い
東北に春の廻るを望む

玄宗皇帝の宰相張説の詩だ。詩の題名は「欽州守歳」。斗柄とは北斗七星のこと、東北の春とは左遷された欽州から見た東北、長安に新春が巡ってくることを願っている。唐詩の詩情は自己を辺境の地に置きそこから都を思いやることで増していく。

一方、江戸の新春はナズナ打ちの風習がある。正月七日は七草粥を食べて一家が息災であることを願うのだが、その前夜に一家ではまな板にナズナなどの若菜を載せて叩く。「七草なずな唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」と囃子歌を歌ながら一家でトントンと囃したてた。

うち囃し馬も嶃よ薺の夜 白雄
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年の瀬

2024年12月28日 | 日記
昨日、ある人に聞いた。毎年、千両を買って玄関に飾って新年を迎えるのだが、その千両が大きく値上がりしたそうだ。同じ赤い実なら、ナンテンをスマホに収めてブログにアップする。年の瀬の風習ではある。一階の掲示板で、貼った紙を紙にメモしている知人がいた。聞けば、地域の公民館で行われるスマホ講座に参加したくて日程をメモしているという。考えてみると、それこそ持参したスマホで撮影すれば、メモは一瞬でできるはずだ。スマホの面倒なラインの登録の仕方を聞くよりも、スマホの便利な使い方を少しずつ身につけていくのが早道に思える。

スーパーに入ると、正月用品を買うためか、レジに行列ができ、店員がせわしなく商品の陳列に動き回っている。年の瀬はなぜか、街場に活気をもたらす。田山花袋は『田舎教師』で明治の町の様子を書き残している。
「町は賑やかであった。此処では注連飾りが町屋の軒毎に立てられて、通りの角には年の暮の市が立った。橙、注連、昆布、蝦などが行通う人々の眼に鮮やかに見える。どの店にも弓張提灯をつけて、魚屋には鮭、ごまめ、数の子、唐物屋には毛糸、シャツ、ズボン下などが山のように並べてある。」
昔から変わらない年の瀬の風景である。

歳晩の柱みがきて母います 古賀まり子
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