詩人の茨木のり子がこの世を去ったのは、2006年2月17日のことであった。西東京市の自宅で、脳動脈瘤に破裂であった。急逝を見つけたのは友人であったが、枕元に遺書が用意されていた。「私の意思で葬儀・お別れの会はいたしません。あの人も逝ったか、と一瞬、たったの一瞬思い出してくださればそれで充分でございます。」享年79歳であった。
1975年、45歳のとき、最愛の夫が他界し、その後弟、詩の仲間たちが亡くなって孤独になっていった時書いた詩が「依りかからず」であった。孤独ななかで、毅然として自己を律する詩は、大きな反響を呼んだ。この時、茨木は73歳であった。
もはや
できあいの思想には依りかかりたくない
のフレーズで始まる詩は、宗教、学問、権威などを否定し、最後に「依りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と締めくくっている。この詩集が15万部ものベストセラーになったのは、彼女の生きざまへの、共感と支持があったためである。そこには女性の自立という社会的は背景があったと思われる。
しかし、茨木の詩の代表作は「わたしが一番きれいだったとき」である。茨木は19歳という青春のどまんなかで、終戦を迎えた。ネットで茨木の写真を検索してみると、この詩が気障な表現でなかったことが分かる。モノクロ写真で見ても、茨木は十分に美人であった。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争に負けた
そんなばかなことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
この詩に茨木は戦争への怒りをつめこんだ。22歳の時、山本安英に出会い戯曲を書き、童話を書いた。23歳の時、医師の三浦安信と結婚、所沢に住んだ。