ロシアの民話にこんなのがる。老人が山に杉の木を植えていた。そこへ3人の若者が通りかかる。若者たちは、老人に向かってぶしつけな言葉を吐く。「もうすぐ、この世からおさらばしよういう年になって、そんな事したって無駄さ。木が大きくなる前に、あんたの方がくたばっちまうさ」「そうさ、それともあんたはあと百年も二百年も生きる気かい」「あははは、木を植えるより、自分の墓を掘った方が利口だぜ」
老人は若者たちの言葉にも怒るでもなく、「なあに、この木が大きくなるころは、わしはこの世におらんじゃろうが、その時孫たちがこの木の下で遊ぶようになるとそれだけで幸せなんじゃ。」そして、こんな会話があって数年後、若者たちは、嵐にあって船のなかや暴飲暴食がもとで病にかかったりして3人とも死んでしまった、という展開になっている。何だか、後味の悪い人生訓のようで興ざめしてしまう。山に木を植えるのと、年老いてから学ぶというのも同じような意味がる。
ブルーメンソールの『52の習慣』に「生涯、学び続ける」という習慣の勧めがある。「今も、これからも、新しいことを学ぶように人生を歩みなさい」というキーワード掲げられている。結果でなくプロセスを楽しむこと。好奇心を持ち続けること。情報を額面通りに受け取るのでなく、もっと深く掘りさげてみる。こうしたことは、脳内に新しいシナプスを発達させ、新しい挑戦ができるようになる。
食べものや読む本についても同じことが言える。食べたことのない新しい味に感動することで、食の世界が広がり、読んだことのない作家の本を読むことで、自分の読書の世界も多様になる。読んだ本を片端から忘れるような年になったも、新しい読書の世界は、脳を刺激し、感動する若さを保ってくれる。
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