難波津に咲くや木の花冬ごもり
今は春べと咲くや木の花 王仁
詩吟教本の和歌篇に見える。王仁はワニと呼び、応神天皇のとき百済から渡来し、「千字文」「論語」などをもたらしたと伝えられる。仁徳天皇が大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)と呼ばれた親王の時代に、皇太子の位についていた莵道稚郎子(ウヂノワキイラツコ)一番末の弟があった。この弟は聡明で、王仁に師事し、論語などの渡来思想を修めていた。この兄弟の皇位継承をめぐる逸話がある。兄が皇位を継ぐべきと考える莵道稚郎子に対して、天皇の指名による皇太子が継ぐべきと主張する兄の大鷦鷯尊。二人の譲り合いは3年の月日の長きに及んでいる。
豈久しく生きて、天下を煩わさむや。
論語の長子相続を深く考えた莵道稚郎子は、この言葉を残し、兄を皇位につけるために自死の道を選んだ。この悲劇によって誕生した仁徳天皇は、慈愛に溢れ民の暮らしに寄り添う政治を行った。仁徳天皇の御製とされる有名な歌がある。
たかき屋にのぼりてみればけぶりたつ
民のかまどはにぎはひにけり 仁徳天皇
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