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久しぶりの雨に、木々や植物が喜んでいる。昨夜の雨粒が、木の葉の先端で玉のように光っている。畑に行ってトマト、ナス、ナツナを収穫する。蒔いたニンジン、シュンギク、ホウレン草はさんざんな成績だ。強すぎる日ざしのため、半分も発芽しない。コリアンダーにいたっては、全く発芽していない。暑さにまけて、農作業の手が緩んでしまったとしか言いようがない。来週種を蒔きなおすことにする。
「自ら勉めて息まず」という4字熟語があるが、絶頂を極めた足元には衰退への道が口を開けて待っている。だから、自ら勉めることを休んではならい、としている。共同浴場で畑作りをしている人の話しを聞く機会がある。暑くて、農作業などという心が起き勝ちだが、その話を聞きながら作業にでかける。だが、どうしても、もう一歩の除草、施肥、早めの準備などできないことの方が多くなる。
伊藤整の『太平洋戦争日記』を読む。この日記のなかには、死と隣り合わせだったあの時代の生きる覚悟がひしひしと伝わってくる。昭和19年9月20日を開いてみる。冒頭に「晴 昨日鳩麦と大根に下肥を施す」とある。整自身が厠の糞尿を樽に入れて運び、畑の作物に施している。この年の日記には、春から毎日行った農作業が短く書き入れてある。
続けて福沢諭吉の自伝に力づけられる記述がある。
「福翁自伝」を近来類のない興味をもって読む。明治維新の疾風怒濤の中に生きたこの人の生活態度には、今の私に深い共感を誘うものが多く、それに自己を語って十分に解剖的であり、日本人の普通の自伝に見られれぬ具体性がある。
そして自らの覚悟を述べている。
「私も私流に、いつも最悪の場合を考えて物事を予定する習いであるが、こういう時代においては、最悪の場合ということは、自分の戦死、家族の離散はもとより、祖国の荒廃まで及んでくる。その点までの覚悟を万事定め、死のことを考えてその日その日を生きるよう、否ただ生きるのみでなく、一日一日を充実させて生きられるようにしたいものだ。」
伊藤整にとって、戦争時代の日々に行っていた農作業は、家族が口にする食料を生み出す、欠くことのできない大切な作業であった。自分の場合はどうか。趣味として、それを軽くみてはいないか。食べるだけでなく、毎日の生活を充実させ、ゆたかな時間にするための作業だ。あらためて大切にしたい。