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秋の気配は感じるが、どうにも夏の暑さが去らない。体の活力が低下している。食欲も秋のそれにほど遠い。そんなとき、食べたくなるのがアイスクリーム。ヨーグルトを加えて、アイスクリームを食べる。ほんの一時であるが、口の中が冷えて暑さを忘れる。我が家では、ファミリーサイズの箱入り650円を買って、冷凍庫に保管して食べたくなったいつでも食べられるようにしておく。
アイスクリームの元祖はイタリーである。ぶどう酒と果汁を入れた容器を、氷のなかで回転させ、凍らせたものを食べたのが最初であった。いまのシャーベットのようなものである。1533年、メディチ家の娘カトリーヌがフランス王アンリ2世に嫁ぐと、カトリーヌの料理人はアイスクリームをフランス人に食べさせたので、パリで知られる食べものになった。18世紀には、フランスからイギリスへ、そしてアメリカにも伝わって行った。
1851年ボルチモアの牛乳屋が、クリームの滞貨処分のためアイスクリームを売り出したところこれが大当たりになって、アイスクリーム工場が各地に作られた。牛乳を使ったアメリカアイスクリームがこのころから大流行を見せた。日本人でこのアメリカアイスクリームを最初に口にしたのは、1860年万延元年軍艦咸臨丸に乗って太平洋を渡った一行である。艦長は木村摂津守、操縦の指揮官は勝海舟、乗組員には福沢諭吉ら、通訳にジョン万次郎が乗り合わせた。
咸臨丸一行の旅は、なにしろ太平洋横断という、当時としては誰も果たしたことのない壮挙であったため、食べものの難儀は並大抵のものではなかった。ワシントン、ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨークと歴訪したが、口にするものことごとく合わず、「打寄りては食物の噺になり、故郷に帰りての楽しみは味噌汁と香のものにて心地よく食せん」と話し合った。
そんななかで誰もが喜んだ食べものがひとつだけあった。それがアイスクリームである。「氷を色々に染め、物の形を作りこれを出す。味はいたって甘く、口中に入るるにたちまち解けて誠に美味なり。これをアイスクリンと言う」と記録にとどめて絶賛している。勝海舟も、福沢諭吉も初めて食べるアイスクリームに目を細めたことであろう。
昭和34年、私は山形にある日米文化教会で、アメリカ人の神父さんから英会話を教わってていた。この神父さんは緑町の教会に住み、信者とともに礼拝を行っていた。多少の日本語も交えながらの英会話で、はじめて習うにはやさしく会話がすぐにできそうな錯覚を覚えたものだ。ある日神父さんは、受講生を自宅に招待して、手作りアイスクリームをふるまってくれた。お菓子にはアルファベットをかたどったビスケットが出、アイスクリームは氷の入ったフリーザーにミルクと砂糖を器に入れて皆で代わる代わるに回して作った。
そのとき神父さんは、キリスト教のことやアメリカ人のことを話したに違いない。だが、そんな記憶はすっかりどこは消え去り、今残っているのは、そのときのアイスクリームの味だけである。フリーザーから出したアイスクリームの柔らかさ冷たさ、そしてほのかな甘さは、手作りでなければ味わうことの出来ない繊細なものであった。