「わ~美味しそう~すごくキレイな梅のお菓子…」とミモロが、じっと見つめるのは、梅の花を象った和菓子です。
え?夏なのに梅のお菓子?と思われる方もいらっしゃるかも…。
実は、この和菓子は、以前、ミモロがリポートした「京都百人一首・かるた研究会」の懇話と茶菓会で、百人一首にも登場する菅原道真にちなみ、作られたもの。
この日、京都南区の菅原道真をご祭神にする「吉祥院天満宮」から徒歩5分ほどにある「清行山三善院浄蔵寺」という浄土宗のお寺に向かったミモロ。
ここは、菅原道真が幼い頃、病気平癒祈願をした「十一面観音菩薩」をお祀りしているお寺です。
「へぇ~なんかモダンな雰囲気が漂うお寺だね~」とミモロ。
2006年に建て替えらえられた本堂…その斬新な建築や意匠にも目が奪われることに…
さて、会は、「京都百人一首・かるた研究会」の河田先生が、百人一首と深い繋がりがある場所などをテーマに催されるもの。
今回、お話くださるのは、「三善院」の永井住職。テーマは「菅公御帰依観世音」と三善院です。
まずは、この「清行山三善院浄蔵寺(せいぎょうざんさんぜんいんじょうぞうじ)」が、どういうお寺かということから。お話が始まりました。
ご住職のお話と頂いた資料によると…
このお寺を建立したのは、三善清行という平安時代の公卿で、漢学者。若い頃から、学問に秀で、大学寮で勉学に励み、文章得業生という宮中の官人登用試験を受験できる特待生にもなります。この試験に合格すれば、大学の教官や文章関係の専門官職に登用される、まさにエリートコースを進むことに…
しかし、その試験に不合格…その試験官こそが、菅原道真でした。
試験の場で、道真に手厳しく批判され、その後も事あるごとに道真と対立してゆきます。
後に試験にも合格、正義感あふれた人柄で、権威に屈せず、そのため官位の出世が遅れたともいわれます。地方官などの経験を経て、昌泰3年(900)には、文章博士という学生に漢文や中国正史などの歴史学を教授する役職に就きます。
一方、異例の出世街道を進み、右大臣となった菅原道真。そのころ、左大臣の藤原時平との対立が深まります。
そこで起こったのが、道真を大宰府に左遷させることになった「昌泰の変」。その背景には、宇多天皇との結びつきを深める道真。長女を宇多天皇の女御に、また、三女を宇多天皇の皇子 斉世親王の妃にします。
「え~学者さんだけじゃなくて、なんか清盛みたいだね~」とミモロ。
この変は、道真が、兄である醍醐天皇から娘婿の斉世親王に譲位させようと噂された事件です。
その噂の首謀者と言われるのが、藤原時平ですが、この事件は、歴史上、時平の讒言で道真が陥れられたと言われていますが、全く、道真に問題がなかったかは、疑問が残るところ。中下級貴族を含め、多くの人がその噂を信じ、時平を支持したのですから…。そもそも道真と時平は、昔からの知り合いで、それぞれの才能を認め合った仲でもあったとか。
試験で遺恨をもち、道真と対立していた三善清行ですが、彼の立場が危ういことを予想し、道真に右大臣から退くことを勧告しますが、道真は聞く耳を持ちません。清行の予想通り、道真は左遷。しかし、関係者すべてを処分すると、朝廷の機能が停止すると、清行は、時平に忠告し、親族の降格や左遷などで処分を留めます。
「え~清行って人、偉いね~。自分をよく思ってなかった道真なのに~」と思うミモロです。
う~合理的に考えれば、朝廷の機能停止の方が、怖かったのかも…。
大宰府に赴任して2年後、道真は59歳で亡くなります。
「大宰府左遷って言っても、大宰府の長官なんだよね~。朝廷からも遠いから、結構自由に過ごせる役職らしいよ~」と、どこかで読んだミモロ。もちろん罪人扱いではないので、それなりに楽しめたはずですが…
「大宰府への移動費用、自費だったんだって~罪人じゃないから、自腹なの?朝廷もひどいね~」とミモロ。
道真の死後、6年後、藤原時平は39歳で病死、10年後、右大臣源光が狩りの最中、溺死、20年後、醍醐天皇の皇子が崩御、27年後、清涼殿に落雷で、死傷者多数。醍醐天皇が崩御…
これらは、道真の怨霊のよるものと言われ、44年後に北野天満宮に神として祀られることに。
「よく考えると、道真さん亡くなってから、かなり時間が経ってることばかり…みんな道真の怨霊のせいにするの無理あるのに…」とミモロ。それって、今の時間感覚かもしれません…。
おそらく道真の怨霊のせいにしないと、人心の不安を納めることができないと、朝廷の誰かが判断して、その噂を流したかも…。
「ホント、この時代も、いろいろ複雑な思惑の絡み合いだね~」と思うミモロです。
さて、三善清行には、7歳で出家した八男の浄蔵がいました。熊野をはじめ各地で厳しい修行を積んだいた19歳の時、父清行に呼ばれ、病気になっていた藤原時平の病気平癒の加持祈祷をすることに。すると、時平の耳から道真の怨霊である2匹の青龍が出てきたそう。加持祈祷をやめるようにいう青龍に従うと時平は間もなく死んでしまったとか。
道真を哀れと思ったのでしょうか、彼が崇敬していた「十一面観音菩薩」に金銀、瑠璃、メノウ、珊瑚などを施し、祀ることに…それが、浄蔵が初代住職になった「清行山浄蔵寺」の始まり。
永井住職のお話を伺いながら、対立したことはあっても、道真の菩提を弔うためにできたお寺に、怨霊を恐れただけではない、学問を志した人たちのそれぞれの才能を認める姿勢も思います。
「え~これが十一面観音菩薩さまなの?」と、ミモロは参拝させていただきました。
また、2006年に檀家の方々のお力で改修した本堂。先代のご住職の思いが形になった設計だそう。
「この天井の中心部は、阿弥陀様の光が注ぐようなイメージです」と。
傘のような先には、仏様のお姿が…
「え?どこ?」目を凝らすミモロ。
「あ、ホントだ~」
耐震構造にもなっている建物…柱には、青龍が描かれています。
他にも、丸窓から眺める庭の趣も素敵です。
「わ~ここにも大きな龍がいるよ~」瓦でできた龍は、本堂の入口に…
*「清行山三善院浄蔵寺」京都市南区吉祥院里ノ内町43 ☎075-691-4564 拝観時間10:00~16:00 事前に要電話が必要です。
さて、ご住職のお話のあとは、百人一首の歌人、道真にちなんだ茶菓会が別室で…
「わ~キレイな梅のお菓子~」
丸太町通りにある「京都くりや」のご店主に、「京都百人一首・かるた研究会」の河田先生が依頼して作ってもらった特製の和菓子です。
「なかなか厳しいご注文で、梅の香りと味わいがあって、梅らしい色彩と形には、細かいチェックが入りました」とご店主。河田先生のこだわりが、とても美しい、美味しい和菓子になりました。
「美味しいね~ほんのり梅の味がする~」と、やさしいお味がミモロの口に広がりました。
9月5日にも「京都百人一首・かるた研究会」の懇話と茶菓会は開催。
次回のテーマは、「百人一首と琳派」会場は、吉田山の麓の「黎明教会資料研修館」で館長にお話し頂きます。
参加費は2800円。もちろん特製の和菓子も付いています。
お問い合わせは、090-9879-1010 河田まで。
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