「ヨイショ~う~結構急な石段~フ~」とミモロが、一生懸命に登るのは、近江八幡市千僧供町にある「馬見岡神社」の石段。
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田園が広がる琵琶湖畔の千僧供町。観光客がほとんど訪れず、昔ながらの雰囲気が漂うところがいろいろと…。
ここ「馬見岡神社」も、建立に年代は不詳ですが、社伝では、延喜式神名帳にその名が記されている歴史ある神社です。
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「ここに参拝するの?」とミモロ。
鳥居のそばにある手水でお清めを…
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「なんかワイルドな手水だね~」と。
「さぁ、こっちですよ~」と地域に詳しい「千僧供地域歴史資料館」の小川さんが、拝殿に案内してくれました。
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岩倉・千僧供・馬淵の3集落で構成される馬淵郷。それぞれに氏神様をお祀りしていますが、その総鎮守として、古くから多くの崇敬を集めたのは、「馬見岡神社」です。背後の山に守られるように南を向いて社殿が建てられています。
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「なんか立派な社だね~格式を感じる…」とミモロ。
ご祭神は、天戸間見命(アメノトマミノミコト)と天津彦根命(アマツヒコネノミコト)です。
5月2日は、春祭り。なんでも室町時代から始まったと言われる祭りです。
当日、氏子は裃袴姿で、鉦、太鼓を鳴らし、神輿の渡御を行いなうそう。
「直会は、境内にゴザを敷いて、そこでお神酒などをいただくんですよ」と小川さん。昔ながらの
なんでもここには、国の重要文化財に指定される平安時代の神像八体があるのだそう。
*「馬見岡神社」滋賀県近江八幡市馬淵町46 境内参拝自由
そして、もう一か所、参拝したのは、「椿神社」。
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こちらも、歴史を感じさせる神社です。
なんでも、長和5年(1016)に「日吉山王神社」の上7社のひとつ「樹下神社」が勧請され、それがこの神社の由来。
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入口の門は、滋賀県指定文化財になっています。
「これ、なあに?」と門のところにある敷石のようなものを見つけたミモロ。
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「それはね…」と小川さんがお話してくださいました。
室町時代にこの地域の集落、馬淵と岩倉の間で水の権利を巡って問題が起き、千僧供が、その仲介に立ち、3集落の水の権利の定めたそう。その割合を忘れないようにと石を埋めているのだとか。
馬淵、千僧供がそれぞれ4割、岩倉が2割で、これは水の配分だけでなく、共同で行う祭礼の費用分担にも、適用される比率です。
ここは、先ほど紹介した「馬見岡神社」と共に、春の大祭で、神輿渡御が行わる、この地域の重要な神社なのです。
「境内に、特別大きな椿の木があるわけじゃないみたい~」と。境内を見回すミモロ。
そう、全国には「椿神社」と呼ばれる神社がいろいろあります。もともと「椿」には、厄除けの意味があり、さらに常緑樹の艶やかな葉は、繁栄を象徴し、商売繁盛などの祈願にも崇敬されてきたのです。
「椿神社」と呼ばれるようになったのは、実は明治以降で、それまでは、「十禅師権現」と呼ばれていたのでした。
この地域の暮らしを守って来た氏神様。
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琵琶湖の西にある比叡山延暦寺と、地理的にすごく離れているように感じますが、その結びつきがとても深い地域なのだそう。
「ということは、比叡山延暦寺の力って、本当に大きかったんだね~」と、改めて思うミモロです。
*詳しくは「千僧供町」のホームページからどうぞ~
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