ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

チンチン電車が走り、映画館などで賑わった昭和を代表する京都の商店街「西陣千本商店街」

2024-12-20 | 京都
「大きな商店街だね~ずっとアーケードが続いてる…でも閉めてるお店多いね~」

ミモロが、キョロキョロしながら歩いているのは、「北野天満宮」の南側にある「西陣千本商店街」です。

「すごく歴史あるエリアなんだ~」と、町の歴史を示す標示を読むミモロです。
 

そもそも平安京のメインストリートの朱雀大路は、現在の千本通りに当たります。
1900年~19050年代、つまり明治末期から戦後にかけて、中立売通と今出川通の間には、寄席や芝居小屋、映画館などが多数あり、西陣で働く人たちの娯楽のエリアとして賑わったそう。町中の「新京極」に次ぐ歓楽街だったそう。

今も飲食店が軒を連ねる「西陣京極」。

「赤ちょうちんが、夜は灯って、昭和の飲み屋街って感じかも…」と想像するミモロ。

どうもこのエリアの歴史は深く、とても1日では、理解できそうもありません。これから、少しづつご紹介できたらと思います。

さて大通りからは、細い道が伸びています。

「あっち行くと、どうなったるんだろう?」と興味津々のミモロ。でも、今日は、まずは、メイン通りを歩いてみましょう。

「なんか、この商店街、道路の幅広くない?」と思うミモロ。

確かに…しかもカーブしています。

「あれなんだろ?」と、道の中ほどに聳えるモニュメントが…


よく見ると、それは市電を象ったもの。

そばの解説を読むと…なんでも明治33年に、チンチン電車の北野線が開設され、北野天満宮と京都駅の近くを結んでいたそう。明治、大正、昭和と時代を越えて走り続けた電車は、昭和36年に廃止されます。人々に愛されたチンチン電車で、北野天満宮の縁日の日などには、大勢の人が訪れたのだとか。

「へぇ~ここにチンチン電車が走ってたんだ~だから道幅が広いんだね~」とミモロ。


かつて京都は市電の町でした。今は、バスに変わられています。昭和世代は、市電に乗ったことがある人が多いはず…。
「ママも、乗ったことあるって…いいなぁ~廃車になった市電しか乗ったことないもの…」と残念がるミモロです。

かつてのチンチン電車の路線に沿って続く商店街…
そこには、昔からのお店が残っています。

でも、世代交代が進み、お店は、次々に新たな業種のお店やマンションなどに建て替わり、新な町に変わりつつあります。

「わ!ねこの病院だって~ここネコ専門なのかなぁ~」とミモロ。でも、ミモロが行くことはありませんが…。


また、このエリアは、お寺も多いそう。

中立売通が、カーブする場所にあるのが、「本門仏立宗本山 宥清寺」で、重要文化財の宗祖日蓮の木像が祀られているとのこと。道に沿って、お寺の塀がぐるりと続いています。

「ここから、北野天満宮の鳥居方向に道が伸びてるんだよね」


本当に、この地域をゆっくり歩いたことがないミモロ。「でも北野祭の時は、ここら辺を通った気がする…」と。

そのお寺のそばに、お店が…「七味唐辛子屋さんだって、行ってみよう…」と、そこに向かって、ミモロは、通りを渡りました。


「北野天満宮には、何度も来てるけど、その南側って、ほとんど歩いてないかも…でも、なかなか面白そうだよね」というミモロです。

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