京都市の西に隣接する亀岡市。ここは、平安京ができる前、聖武天皇が国分寺を建立した場所です。
ミモロが訪れた「愛宕本宮 愛宕神社」の千歳町国分という住所に、かつて西側にあった「国分寺」を名に留めているのです。宮司様に、国分寺の存在を教えてもらったミモロは、さっそく行ってみることに…
「本当にこんな草むらにお寺あるの???」と、細い道を車で進みながら、不安になります。
草むらにあるこんもりとした森が、「国分寺」のよう…
最近、草が刈られたのでしょう、まだみずみずしさが残る切り口の草が…もし草刈がされていなければ、ここまで到達できなかったかも…
木々に包まれ、ひっそりとした佇まいの山門がそこに…
山門の前に「国分寺」と刻まれた石碑。
「なんかすごく荒れてるお寺だね~だれもいないし…」とミモロは、恐る恐る境内へと歩みを進めます。
「あ、仁王像がある~」山門の左右では、今も、仁王像が、この寺を守っているのです。
さて、ここ「丹波国分寺」は、天平13年(741)に聖武天皇の詔勅により建立。多くの人がその建設に関わったのです。
当時の敷地は、約220m四方で、金堂、講堂、僧房や七重塔がある大きな伽藍を構成していたそう。
門のそばに苔むした石が点在…。
ここは、かつて大きな塔が聳えていたことが、その礎石からわかっています。
この地域の中心的存在であったお寺です。
時が流れ、平安時代になると、寺に衰退が見られるようになり、神々しく聳えた塔や金堂は、廃絶。寺の荒廃は加速します。
そして、丹波を治めるようになった明智光秀は、居城となる「亀山城」の築城のために、衰退した「国分寺」の建物から用材を調達したとも言われます。
さぁ、本堂へ参拝しましょう。
ご本尊は、薬師如来坐像で、国の重要文化財。「でも、中にいらっしゃるのかな?」と閉ざされた扉越しに拝みます。
やや傾いた「国分寺」の扁額が、時の流れの激しさを感じさせます。
「見て、すごい!」とミモロが声を…
それは、屋根の瓦の細工の見事さに驚いた声!
龍などが、緻密に表現された瓦は、なかなか見ない景色です。
この現在の本堂は、江戸時代に、この地域の宮大工と瓦師によって、再建されたもので、建物の随所に、木彫りの細工が。
大きな伽藍は失われたものの、地元亀岡の人にとって、この寺は、時を越えて大切なものであったことが伺われます。尚、現在は浄土宗の「護国山国分寺」になっています。
本堂のそばの草むらを進むと、そこには、経堂や僧房があった礎石が当時の繁栄の名残りを留めます。
「本当にすごいお寺だったんだね~」今は、草むらの中にひっそりとある「国分寺」。ほとんど観光客が訪れることはありません。でも、ここは、かつて亀岡の中心地であったこと。それを知ったミモロでした。
激しい時代をじっと見つめていたのが、境内に聳えるイチョウの大木。
亀岡市の天然記念物です。
別名「チチイチョウ」と言われ、幹から垂れ下がる気根が乳のようで、これに触れると乳の出が良くなるといわれたそう。
境内に積まれた石仏に挨拶して、お寺をあとにしました。
「愛宕本宮 愛宕神社」の西に位置する「国分寺」。亀岡の歴史を刻む場所のひとつです。
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ミモロが訪れた「愛宕本宮 愛宕神社」の千歳町国分という住所に、かつて西側にあった「国分寺」を名に留めているのです。宮司様に、国分寺の存在を教えてもらったミモロは、さっそく行ってみることに…
「本当にこんな草むらにお寺あるの???」と、細い道を車で進みながら、不安になります。
草むらにあるこんもりとした森が、「国分寺」のよう…
最近、草が刈られたのでしょう、まだみずみずしさが残る切り口の草が…もし草刈がされていなければ、ここまで到達できなかったかも…
木々に包まれ、ひっそりとした佇まいの山門がそこに…
山門の前に「国分寺」と刻まれた石碑。
「なんかすごく荒れてるお寺だね~だれもいないし…」とミモロは、恐る恐る境内へと歩みを進めます。
「あ、仁王像がある~」山門の左右では、今も、仁王像が、この寺を守っているのです。
さて、ここ「丹波国分寺」は、天平13年(741)に聖武天皇の詔勅により建立。多くの人がその建設に関わったのです。
当時の敷地は、約220m四方で、金堂、講堂、僧房や七重塔がある大きな伽藍を構成していたそう。
門のそばに苔むした石が点在…。
ここは、かつて大きな塔が聳えていたことが、その礎石からわかっています。
この地域の中心的存在であったお寺です。
時が流れ、平安時代になると、寺に衰退が見られるようになり、神々しく聳えた塔や金堂は、廃絶。寺の荒廃は加速します。
そして、丹波を治めるようになった明智光秀は、居城となる「亀山城」の築城のために、衰退した「国分寺」の建物から用材を調達したとも言われます。
さぁ、本堂へ参拝しましょう。
ご本尊は、薬師如来坐像で、国の重要文化財。「でも、中にいらっしゃるのかな?」と閉ざされた扉越しに拝みます。
やや傾いた「国分寺」の扁額が、時の流れの激しさを感じさせます。
「見て、すごい!」とミモロが声を…
それは、屋根の瓦の細工の見事さに驚いた声!
龍などが、緻密に表現された瓦は、なかなか見ない景色です。
この現在の本堂は、江戸時代に、この地域の宮大工と瓦師によって、再建されたもので、建物の随所に、木彫りの細工が。
大きな伽藍は失われたものの、地元亀岡の人にとって、この寺は、時を越えて大切なものであったことが伺われます。尚、現在は浄土宗の「護国山国分寺」になっています。
本堂のそばの草むらを進むと、そこには、経堂や僧房があった礎石が当時の繁栄の名残りを留めます。
「本当にすごいお寺だったんだね~」今は、草むらの中にひっそりとある「国分寺」。ほとんど観光客が訪れることはありません。でも、ここは、かつて亀岡の中心地であったこと。それを知ったミモロでした。
激しい時代をじっと見つめていたのが、境内に聳えるイチョウの大木。
亀岡市の天然記念物です。
別名「チチイチョウ」と言われ、幹から垂れ下がる気根が乳のようで、これに触れると乳の出が良くなるといわれたそう。
境内に積まれた石仏に挨拶して、お寺をあとにしました。
「愛宕本宮 愛宕神社」の西に位置する「国分寺」。亀岡の歴史を刻む場所のひとつです。
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