ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都日帰り旅。だれもいない~「世界遺産 国宝 姫路城」の天守へ。

2021-06-19 | 歴史・史跡

「う~待って~」とミモロが必死に登っているのは、「世界遺産 国宝姫路城」の天守の階段。

京都から日帰り旅に出かけたミモロとお友達。「わ~こんなに空いてるんだ~」と、ほとんど参観者がいない姫路城にビックリ。

通常なら、多くの人が列をなす天守。「こんなのことは、今までなかった!」という観光ガイドの三木さんといっしょに、ゆっくり城を巡ります。


ミモロたちが目指すのは、大天守。高さ31.5Mの地上6階、地下1階の7階構造になっている日本最高峰の木造建築です。

天守の内部は、武器倉庫や兵士たちが待機するスペース、また籠城のための食糧備蓄庫など、戦いに備える施設や工夫が凝らされているのです。


「随分上がった感じ~」と、窓から外を眺めます。
 

眼下に広がる城下町、姫路。この町を整備したのは、毛利攻めに進軍した秀吉で、播磨の国の中心地となるよう大規模な城下町を作りました。
その後、天下人となり大坂城に移った秀吉に代り、弟の秀長が、そして秀吉の正室の兄 木下家定が城主となります。
関ヶ原の戦い以後は、池田輝政が、徳川家康の命で入城。西国の守りを強化するため、いっそう城の整備を行います。

「つまり、江戸時代に今のような形のお城になってから、実際、幕末に新政府軍に威嚇攻撃され、開城するまで、戦いらしい戦いはしてないお城なんだよね~。だから残ったんだ~」とミモロの解釈。

「普段は、ここ何に使われてたんだろう?」と、広いスペースを見渡します。


「さぁ、一番上に行きますよ~」と観光ガイドの三木さんに言われ、また急な階段に挑むミモロです。


「ここが大天守の最上階?!」そこには、中央に「刑部神社」が祀られていました。これは実は近代になって、以前城内にあった地主神社を祀ったそう。

窓から外を見ると「あ、鯱(しゃちほこ)」そして明治時代の軍の赤レンガの建物が見えます。
 

この大天守を支えるのは、東西2本の大柱で、ひとつは角柱、もう一つは丸柱で、地下から5階までの通柱になっています。
「触ってもいいですよ~」と言われ、「いいんですか?爪立てませんから…」と抱き着くネコのミモロです。


また、各所にある釘隠し…「ここは丸くなっていて、なんに見えますか?」と三木さん。「あ、おっぱい!」と思わずしがみつくミモロ。


敵の攻撃をかわすために、さまざま工夫が施された天守ですが、実際に使われることはなかったのです。

「使わないで済んでよかったんじゃない…」と思うミモロです。

「見学いかがでしたか?」と、スタッフの方。「はい、すごく興味深かったです~」とミモロ。「ゆっくり見られてよかったですね~」


本当に静かな姫路城。「まるで独り占めみたいだったね~」と、広いスペースでミモロの小ささが目立ちます。


コロナ前は、大勢の参観者が訪れ、大天守に入るのを諦める人もいたそう。安全上、天守に登る人数制限もあり、1時間以上待つこともざらだったそう。「よかった~密じゃなくて…」

城内各所でミモロが関心を抱いたのは、消火器。木製のケースに入ったもので、周囲との調和を感じます。


「さぁ、もう少し外を説明しましょう…」と観光ガイドの三木さんとの時間も終わりに近づいてきました。


*「世界遺産 国宝姫路城」の詳しい情報はホームページで


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