ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

晴天に恵まれ、剣鉾や鳳輦が氏子町へ。京都東山「粟田神社」の「神幸祭」

2021-10-26 | 祭事・神事・風習

「あ、鳳輦が下りてくる~」ミモロは、京都東山の「粟田神社」の石段の下で、境内から神輿の担ぎ手の方々によって姿を見せた鳳輦に出会いました。

山の中腹にある神社の境内…参道には、まだ緑の葉が茂り、その中をゆっくりと進む鳳輦。

「よかった~間に合った~」といつもギリギリのタイミングで素晴らしい場面に出会うミモロです。

この日、10月24日は、「粟田神社」の「神幸祭」。昨夜の「夜渡り神事」「れいけん祭」に続く、一連の神事です。

神社の境内は、山の中腹なので、そこまで石段が続きます。そこを毎年、神輿が、大勢の担ぎ手で背負われて下り、そして再び上がるという見物する側にとっては、迫力ある見どころでもありますが、今年は、コロナの影響で神輿の渡御はなく、代わりに鳳輦という輿にご祭神である牛頭天王(素戔嗚尊)がお移りになり、氏子町を巡ります。

立派な神輿がある「粟田神社」。コロナ禍で、多くの担ぎ手が必要で、しかも体を重ねるようにして担ぐ「密」状態を避けるため、京都の神輿の渡御は、昨年から中止。「あの迫力…早く見たいね~」とミモロならずとも、誰も思っていること。
神輿に比べ、かなり重量は軽いものの、それでも担ぎ手の人数も少ないので、石段を進むのは、なかなか大変。

氏子町の巡行では、台車にのせますが、石段は、台車が使えずすべて人力が頼り。そのため祭りの役員の若手の方々もお手伝い。

「あ、たっちゃん兄ちゃん…前田さんも…がんばって~」と顔見知りの方々に声援を送るミモロです。

鳳輦は、鳥居をくぐり、そこで巡行の準備を整えます。


「まだ、剣鉾いるかな?」とミモロは、鳳輦を見送ると、急いで境内へ。
「ミモロちゃん、今年も来たんだね~ホントに、剣鉾好きだよね~」と、いつも仲良くしてくださる剣鉾の差し手のみなさん。

「うん、大好き~」ときっぱり答えるミモロです。


「おや、今年も剣鉾差しの装束で来たんですね~」と粟田神社の剣鉾奉賛会の廉屋さん。

「はい、剣鉾の差し上げがあるときしか着れないから…」とミモロ。そう、ミモロは剣鉾が好きすぎて、自前の装束を持っています。

それぞれの剣鉾や奉賛会によって、差し手の装束の模様が異なりますが、ミモロの場合はフリーの立場なので、ミモロらしく紋は、ネコの肉球です。

今年、初めて剣鉾の差し上げをする岩倉の河内さん。女性の差し手として、初デビューを迎えました。

昨年から、差し手のトレーニングを積み、いよいよ本番…「ずごく緊張してます」と。

やがて、剣鉾は、次々に境内で差し上げられた後、町へと向かいます。

「いい音~」リ~ン リ~ンを澄んだ鈴の音が、境内に響き、金色の剣鉾が秋の青空を背景に輝いて見え、見ているものを魅了します。

上に剣と鈴という金属部分があり、全長6mともいわれる剣鉾を差し上げるのは、技術が必要。そのため、春ごろから差し手のみなさんは、練習をして、その技術を磨きます。ベテランの差し手の荒井さん。

「すごくいい鈴の音がするんだ~」と、荒井さんの鈴の音に毎回聞きほれてしまうミモロです。
ミモロがいるのは、鉾を挿す帯の部分。「なんかカンガルーみたい~」と。

今年は、4基でた剣鉾、境内の差し上げが終わると、次々に石段を下りて、氏子町へ。


「なんかドキドキしてきちゃった~」という河内さん。「大丈夫だよ~絶対…」と隣で励ますミモロです。


さて、いよいよ三条通の神社の鳥居から、巡行が始まります。

佐々貴宮司さんもお出ましに…。

鳳輦も台車にのってスタートです。


鳳輦が進む前を清めてゆく剣鉾…氏子町には、鈴の音が響きます。


「ご祭神の牛頭天王(素戔嗚尊)さまは、疫病を退散させる神様だもの…氏子町を清めていただかなくちゃね~」とミモロ。鳳輦が進む氏子町では、人々がその姿に手を合わせます。

その昔、京都をはじめ、全国で多くの疫病が人々を苦しめてきました。現代のようにその原因もわからず、拡大する感染者を守ることは本当に困難であったはず。人々は、その疫病退散をひたすら神や仏に祈り、その収束を待ちました。今は、ワクチン接種でその感染拡大を抑えますが、それでも決定的な治療薬はまだ…。

祭りは、今は「密」になるから…という理由で中止や規模縮小を求められています。「粟田神社」でも、祭りをすることに神社関係者が集まり協議を重ね安全にできるようにと、マスクの着用、アルコール消毒、人との間隔をあけるなど、気を付けながら行うことになったそう。祭りの後のみんなで集う直会も行われません。

「早く前みたいに、みんなでワイワイできるお祭りしたいね~神様、来年は、いつもみたいなお祭りができますように~」と鳳輦に手を合わせるミモロです。

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京都東山「粟田神社」の「れいけん祭」と「夜渡り神事」。氏子たちが見守る中、規模縮小で行われました。

2021-10-25 | 京都

「わ~もう始まるんだ~」と、10月23日の夜18時。ミモロは、京都三条通の「粟田神社」の前に…

そこには、夜の闇に浮かぶ「大燈呂」の姿が…。

これは、牛頭天王(素戔嗚尊)をご祭神に祀る「粟田神社」の秋の祭に登場する「大燈呂」という大きな張り子です。
 
今年は、4基が祭りに登場。この歴史は、古くすでに戦国時代の記録に見られます。青森の「ねぶた祭」のルーツともいわれるもの。

かつて一時その姿が祭りから消えてしまいましたが、近年、復活。現在は、「京都芸術大学」の学生さんたちと地元の方々が、毎年、さまざまに工夫した「大燈呂」を製作しています。昔の人が目にした感激の景色がそこに…

「よかった~間に合った…」と、この日、大阪に出かけていたミモロ。「どうしても見なくちゃ~」と駆け付けました。

ミモロが、到着してまもなく、行列は、三条通を西に進み、「青蓮院門跡」の横を通り、「知恩院」の黒門前に向かいます。

「また、後でね~」と、行列に手を振り、見送るミモロ。

行列は、警備の方々に守られながら、神事が行われる場所へと移動してゆきました。


さて、行列は、「知恩院」の黒門の前、「瓜生石」のところで神事の体制を整えます。

ミモロも、そばで神事が始まるのを待つことに…。

例年は、スポーツの日前後に行われる祭りですが、今年は、東京オリンピックのため日程をずらすことに。
さて、「れいけん祭」というのは、「知恩院」の黒門(山門の北側の門)の前の道路の真ん中にある「瓜生石」で行われる神事です。
「なんでここに石があるの?」と、どう考えても交通妨害になっている石ですが、実は、この石は「牛頭天王」ご降臨されたと伝えられ、どんなことがあっても動かしたり、埋めたりと、手を加えてはならない神聖な石なのです。

「れいけん祭」では、その石のそばに祭壇が設えられます。そして、この祭りは、神仏習合の昔ながら形を留め、例年なら、黒門から「知恩院」の僧侶の方々が、しずしずとお出ましになり、「粟田神社」の神職と共に神事を行います。
「今年はコロナの影響で、祭りの規模縮小だから、「知恩院」の僧侶の方々は参加しないんだって…」と、ちょっと残念。
でも、祭りが行われただけでも、本当にうれしいことです。

いよいよ神事の始まりです。

そばには、「粟田神社」の氏子の方々、そして盛装された役員の方々が、ずらりと並び神事に参列。


祝詞奏上・・・

ミモロも頭を下げて…


「知恩院」の僧侶の方々が参列される時は、祝詞の後に、般若心経が奏上されます。
「祝詞とお経が一度に奏上されるのって、不思議…」と、初めてこの祭りに参列したミモロは思ったもの。歴史が古い京都の祭りらしい姿です。

榊の奉納などが終わると、神職を先頭に役員の方々が、祭壇の周りを3周します。

ミモロは、そばでじっとそれを見つめていました。
滞りなく、納められた神事…
「あ、門川市長さん、いらしてたんですね~こんばんは~」「おや、ミモロちゃん、元気でしたか?ちゃんとマスクしてますね~」

「はい、もちろんです!」と鼻を膨らませて答えるミモロ(マスクで鼻は見えませんが…)
コロナが収束して、京都の暮らしも、元のように戻り、祭りも以前のように行われることを願う市長さんです。

「大燈呂」は、そこから氏子町を回る「夜渡り神事」へと進みます。

昨年は、「夜渡り神事」が行われなかったため、寂しい思いをした氏子の方々も…。
夜、9時過ぎまで続く行列の巡行。「がんばってくださいね~」とミモロは、祭りの役員の方々に…
 
「はい、まかせて~」と…。

「ここ通るの、まだ先だね~」と白川沿いに立つミモロ。

この日は、夜、おうちにいなくていけなかったため、行列を全部見ることができませんでした。
「ここを通るとき、本当にきれいなんだ~」と、以前見た景色を思い出すミモロです。

明日は、剣鉾も登場する「神幸祭」が行われます。「晴れるといいね~」


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レトロな建物めぐりが楽しい大阪。大正から昭和の町の歴史を物語る建造物。「青山ビル」「伏見ビル」

2021-10-24 | 大阪

「大阪って、レトロな建物いろいろあるね~」と、大阪を訪れるたびに、町にあるレトロな建物を覗くミモロです。


今回は、京阪電車の北浜駅からトコトコと…
ランチを食べた「北極星」があるのは「青山ビル」

大正10年(1921)に実業家、野田源次郎氏の私邸として大林組が建てた鉄筋コンクリートのビルです。

建物のそばの説明によると…


西園寺公望の渡欧に同行した折に、印象深かった建物をイメージした優美な装飾のスパニッシュスタイルが特徴。

「すごいおうちだね~何人住んでたんだろ?」と思うミモロです。建設当時は、地上3階建てで、周囲にはお庭もあったそう。

建物の歴史を守るように外壁を覆うツタは、甲子園球場から株分けされたもの。葉が茂る季節とない季節では、建物の印象が異なります。
昭和22年に、先代のオーナーでが野田氏から譲り受け、戦後、GHQの将校の施設となり、昭和26年に返還され「青山ビル」に。ビル自体増改築がなされ、現在は地上5階に。

貸しビルとなった今、中には、法律事務所や雑貨店、デザイン事務所などのテナントが…。


平成9年に国の登録有形文化財に指定され、平成22年に大阪市都市景観資源に登録されます。

まずは、エントランスから…

「こういうビルに事務所があるって素敵だね~」と。

大正時代の面影を留めるステンドグラスや廊下の手すり…
 

アールヌーボーのようなデザインを思わせる照明器具…


ゴミ一つ落ちていないピカピカの廊下…古い建物を大切に守るオーナーやここに入っている人たちの思いが感じられます。


機能性の高い現代のビルと異なり、レトロな建物は、その維持管理が本当に大変。また利用する人も、それなりの不便さを覚悟しなくてはなりません。でも、それでも、やはり歴史を刻んだ建物は、人々を魅了する力があるのです。


*「青山ビル」大阪市中央区伏見2-2-3

次に向かったのは、アールデコ調の建物「伏見ビル」です。
 

大正12年(1923)に建てられ、当初は、ホテルだったそう。現在はテナントビルに。


「昔は、こんなだったの?」と館内にあった模型を見て

「なんかパリのホテルみたい~」と、行ったことはないミモロですが…。

「ここホテルの受付?」現在は事務所の文字が…。


一体、どんなお客さまをお迎えしたのでしょう?

シンプルなラインの美しさが際立つ設計が、建物の随所に感じられます。

レトロな建物を訪れると、その所有者と設計者の思いが伝わってきます。


*「伏見ビル」大阪市中央区伏見町2-2-3

商業の町として栄える大阪。北浜エリアは、空襲の被害が比較的少なく、多くの古い建物が破壊を免れました。その貴重な建造物を多くの人たちが守ろうとしています。

「ヨーロッパの古い建物が、今も使われているみたいに、日本ももっと古い建物を上手に活用できるといいのに~」と、大阪で、大切に守られる建物を見て思うミモロです。

「大阪って、表通りの街並み、素敵だよね~」


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亀岡の野菜ファームで「白なす」の収穫。「三田三のキッチン」のおでかけロケのお手伝い。

2021-10-23 | 体験

「もっと採る?」とミモロが、籠に入れたのは、今、盛りを迎えた白ナス。


ここは、京都市のお隣、亀岡市にある野菜畑です。

「秋茄子は嫁に食わすな…」と言われるほど、美味しい秋のナスが実る畑の一部に育っているのは、真っ白なナスです。

これを栽培しているのは、地元出身の谷村岳志さん。

地元出身といっても、ご実家は、農家ではなく、10年ほど前から、農業をやりたい!ということで、畑を借りて「京都エンジョイファーム」というグループで本格的な農業をスタートさせたそう。

亀岡の町を見下ろす山の中腹にある畑…ここで収穫されたものは、地元で販売されたり、飲食店に納められます。

この日は、「ミモロちゃん、アシスタントして~」と時々声を掛ける出張料理人の三田清美さんのYouTube「三田三のキッチン」の出張ロケのお手伝いに…。

今回のテーマは、白ナスを使った簡単で美味しい料理です。
「このアングルでいいかな?」と、ビデオ収録を担当するミモロ。


「はい、ではスタートします~3,2,1…ハイ」とカメラマンになり切るミモロです。


白ナスがどうして生まれたのかは、定かではありませんが、すでに白ナスの苗というのが流通しているのだそう。
最近は、レストランなどでも使われることが増えた白ナスは、身が柔らかく、油との相性も抜群で、今後の需要も増加も見込まれる野菜です。

収録を終えて「ねぇ、もっと収穫してもいい?」


さらに他の畑に行って、すでに盛りを過ぎ、先端にしか残っていないオクラを収穫。

「いつもオクラの実り方、面白いって思っちゃう」と、青空に向かって伸びるオクラをカットします。

「う~届かない~」と必死に背伸びするミモロ。

赤く色づいた万願寺唐辛子…赤い姿は、いかにも辛そうですが、熟しているので、かえってまろやかな味に…。

さて、収穫した野菜の籠を車に運びます。「お手伝いしま~す」と、籠を持つお手伝いが、気づけばミモロが籠の中。

それお手伝いになってないから…。

野菜は、谷村さんが借りているおうちの台所でさっそく調理されます。
ミモロは、三田さんのアシスタントで、野菜を切る係。


「ナスって、本当に油と相性が良くて、揚げるとすごく美味しくなるのよ」と三田さん。「いい匂い…」そのそばでお腹が鳴るのをこらえるミモロです。


畑で収穫した野菜炒め…秋色の鮮やかな色たちが、いっそうミモロのお腹を刺激します。


「はい、完成!」と紙のお皿に盛られた白ナスの料理。バター醤油やめんつゆに浸したもの、野菜炒めなど、ヘルシーな品々です。


「ふ~お腹いっぱい~」というミモロ。「あれ?焼き芋食べないの?」と三田さん。「え?焼き芋もあったんだ~。大丈夫、焼き芋は別腹だから…」

お庭で焼かれていたサツマイモ。
「ホクホクで美味しいね~」と、焼き芋好きのミモロは目を細めて味わいます。


この日は、三田さんのお友達も収穫と白ナスの料理のランチを楽しみました。


さて、白ナスを使ったお料理の作り方などは、「三田三のキッチン」でご覧ください~



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京都東山「粟田神社」の秋の祭りに向けて、剣鉾の練習にも熱がこもります。

2021-10-22 | 祭事・神事・風習

秋になると、京都各所の神社では、恒例の祭りが行われます。ミモロが京都に暮らして以来、なにかとお世話になっている東山の「粟田神社」も、祭りの時が近づきました。


東山の麓に位置する「祇園祭」の「八坂神社」や「知恩院」、「青蓮院門跡」とも深いつながりをもつ「粟田神社」。その祭りは、古く神仏習合の時代を物語る由緒ある祭りのひとつです。


今年は、「東京オリンピック」で、10月の祝日が変更され、開催が、10月22日から24日に。また、コロナ禍であることから、神輿の渡御行列はなく、地元の氏子の方々や23日の夜の「夜渡り神事」の大燈呂製作を担った京都芸術大学の学生さんなど、人数を制限し、神事を行うことになりました。

「粟田神社」の神輿渡御を先導し、氏子町を清める役割の剣鉾。ミモロは、京都に来て、初めてその存在を知り以来、すっかりその魅力にはまっています。まだ暑い時期から、剣鉾を差し上げる練習が重ねられ、夜になると境内には、剣鉾の鈴(りん)の音が響きます。

この日も剣鉾の練習日。ミモロは、夕ご飯を済ませると、さっそく境内へ。
まずは、本殿に参拝を…「夜の神社って、いっそう厳かな雰囲気だよね~」と、ゆっくり進むミモロです。


厄除け、病除けの神として崇敬されるご祭神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。そして縁結びのご利益も授けてくださる大己貴命(オオナムチノミコト)に参拝。


ミモロが祈る間も、境内には、剣鉾の鈴の音が響きます。


「ミモロちゃん、ホント、剣鉾好きだよね~」と、顔なじみになっている剣鉾奉賛会の方々に言われるミモロ。
「はい、この鈴の音が大好きなんです」とミモロ。「あ、ネコだから??」「う~そうじゃなくて~すごく心が浄められる気がするの」と答えます。かつて、剣鉾に縛り付けられ、差し上げられたという貴重な経験もしているミモロは、いっそう剣鉾に心惹かれているのでした。

氏子町に数本ある貴重な剣鉾。それを差し上げるために、毎回、丁寧に状態をチェックしながら、組み立てます。


剣鉾を納める箱書きは、文久2年(1862)の文字が…。坂下門外の変や寺田屋騒動などが起こった年で、京都も不安な時代へと向かいます。


世情不安な状況にありながらも、祭りなどの通常の暮らしを守ろうとするところが京都の町衆の強さ。コロナ禍にあっても、決して神事などはおろそかにしない姿勢が、さすが京都なのです。そもそも応仁の乱をはじめ、本当にいろいろな戦いや災害に巻き込まれてきた人々。江戸時代から始まった江戸(東京)とは、経験値が違うのです。「すごいよね~」と、思うばかりのミモロです。

剣鉾の中心部分には、神様がいらっしゃる場所が…


京都の神輿をはじめ、祭具のすばらしさは、国内随一。それは伝統工芸などの技術を継承する職人さんが多いことから。
「ホントに、京都のお神輿って大きくて、立派!」それは小さいサイズの子供神輿を見ても、その技術のすごさを実感します。

「今年もお神輿見られないんだ~」と、コロナ禍ですでに丸2年。神輿の渡御がない京都。来年には、復活が期待されますが、空白の時期が長くなり、担ぎ手の確保なども懸念されます。「誰もすぐに担げるもんじゃないしね~」とミモロ。

さて、剣鉾に話を戻しましょう。京都各所の神社にあったと言われる剣鉾ですが、現在、その数は少なく、近年に復活されています。ここ「粟田神社」だけでなく、「大豊神社」「八大神社」「吉田神社」などをはじめ、岩倉や右京区の神社などでも、差し上げが行われています。


独特なステップを踏み、頭上に掲げられた竿の鈴を鳴らすのは、なかなか技術が必要。初心者と熟練者の鈴の音には大きな違いがあります。そのため、練習は必須。祭りが近づくと、その練習にも熱が入ります。

総重量30キロともいわれる剣鉾をバランスを取り、鈴を鳴らし進むのは、相当な力が必要とされますが、最近は、女性の差し手も誕生しています。
昨年から練習を始めたという岩倉からいらっしゃった河内さんもそんなおひとり。

ミモロ同様、剣鉾に出会い、すっかり魅了されてしまったそう。「ミモロももっと大きければ、差し手になったのに~」と、残念そうなミモロですが、「応援してます。がんばってね!」とエールを送ります。

伝統を重んじる祭りですが、近年、今まで祭具に触ることさえ憚れてきた女性たちの進出も許されるように時代が変わってきています。

カ~ン、カ~ンを涼やかな音色が響く夜の境内…「これが好きなんだ~」というミモロ。毎年、必ず1回は練習見学に訪れます。

今年は10月24日の「神幸祭」。
「今年も氏子町、剣鉾巡行するんだって…」

昨年も、規模を縮小して行われた神幸祭。氏子の人々は、家の前に出て、剣鉾や神輿に代わる唐櫃などを静かに迎えます。

(写真は昨年のもの)

もし、東山エリアにいたら、剣鉾などの姿を拝めるかもしれません。

*「粟田神社」の詳しい情報はホームページで


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