秋と冬とを分ける雨・・・のよう・・・。
昨日(5日)、朝から相方と隣市のシネマ・コンプレックスへ。
『ハード・コア』は、中心人物とか、下層階級とか・・・いろいろな意味があるようで。
純粋で、曲がったことが大嫌いな右近(山田孝之)が、その怒りを腕力に転化してしまい、現代社会では、居場所のない生活を送っていた。
群馬の山奥で、怪しい某社会活動家の埋蔵金発掘を手伝いながら、心を病んで言葉が離せなくなった放浪者の牛山くん(荒川良々)と共に、掘削作業と続けていた。
或る日、牛山くんの住んでいる廃墟の工場の中で、1体の古びたロボットと遭遇する。
量子コンピュータを内蔵する未来を先取りしたそのロボットであることを突き止めた右近の弟で、エリート商社マンの左近(佐藤健)も、腐った社会に憤り、一攫千金を夢見ていた。
そんな3人と1体のロボットが、巻き起こす・・・フツーじゃないひとたちの物語。
あのレトロ感満載の・・・昭和のマンガの中に出てくるようなトボけた顔と、ブリキ?の質感の角ばった錆ついたボディの中に、量子コンピュータ内臓という、そのギャップ。
山田孝之と荒川良々の濃すぎるキャラクターを中和するかのような佐藤健の爽やかなヴィジュアル。
・・・明治時代から始まったのか、或いは、戦後(第二次世界大戦)あたりが、始まりなのかは、よくわからないけれど、近代社会は、所謂、真面目に納税する国民を量産する教育をしてきた。
勤労と納税が、国民の義務であるということを疑わせることなく、よい生活をするには、よい大学行って、一流企業に就職し、文句を言わず、働き・・・、結婚し、家を建てて、定年迄、労働する・・・これが、一番の幸せになる道だと、教育してきた。
その教育は、功を奏し、国民は、貯蓄に励み、政府には、逆らわず、何の疑問を抱かずに、その一生を終えるのが、普通だと教えられる。
でも、そんな洗脳が、利かない人たちがいる。はみ出してしまうひとたちもいる。
それが、映画の中の右近と牛山くんであり、一応、きちんとしたエリート商社マンでありながらも、その社会に疑問を持ち始めたのが、左近であった。
右近と左近は、兄弟であるけれど、対極にいる。
兄と弟は、幸せの基準が、違うのだろう。
右近と牛山くん、そして、ロボットのサイバラロボオは、家族になった。
いつでも三人一緒で、離れることもなく・・・。
ヒトの心を持たないロボオは、AIの感情を超えてしまったため、プログラムにより、その活動を止めることになる。
不思議な面白さのある映画で、小さなショットに、様々なニュアンスを読み解くのも楽しい。