友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間の欲望について

2009年01月05日 21時36分06秒 | Weblog
 昨日、午前中に初詣に出かけた。駐車場に入る車が長い列を作っていた。やはり日曜日は混むのだなと思った。ところがその駐車場の前を通ると、いつもならここに車を整理する係りの人が何人か立っているのに、この日は誰もいない。駐車場はと見ると、空きスペースがいくつかある。誰も誘導しないので、車の人は入り口のところでじっと待っているのだ。それでこんなに長い列ができてしまっていたのだ。

 すると、中年のご夫婦が駐車場の入り口で待っている車に向かって、手を振り、招き入れようとしている。けれども車の運転手は気がつかない。つかないというよりも何をしているのだろうとくらいにしか思っていないのだろう。手招きに応じてそちらへ車を進めても、駐車できなければどうにもならないし、隣の奥さんに「だから他人なんか信用しちゃーダメなのよ」と小言を言われかねない。どうするのかと見ていると、やっと車は動き出し、手招きをした中年夫婦に近寄った。

 世の中には、自分のことしか考えない人もいるけれど、中には他人のことを考え何とかしたい人もいる。脳科学者の茂木健一郎さんが『欲望する脳』で、「最近の脳科学においては、人間行動において利他的な行為が占める比重が案外多いことも示されてきている」と書いている。人間が自分の利益ばかりを追い求める存在のように思うのは、資本主義社会の中で育てられたからではないだろうか。本来の人間は一人では生きていけない存在であるが故に、他人との協調や共存に神経を使ってきたはずだ。

 この『欲望する脳』のはじめの部分を立ち読みしていたら、「人間の知性は、所詮は自己の利益を図るたくらみの結果なのか?愛の起源は何か?(略)人間の幸せとは何か?」とあった。その時、大学生になったばかりの頃、高校の同窓の友だち何人かと居酒屋で酒を飲み、その勢いで友だちの家までみんなで歩いて出かけ、朝方まで議論したことを思い出した。その時の私の主張は「理性は自己保身のためのものだ」であったからとても懐かしく思えた。

 そしてまた、忘年会の折に「人間はよい暮らしがしたいとかお金が欲しいとか、本質的にそう思うものなのか」ということが話題になり、先輩の物知りが「人間とはそういうものだ」と断言するので逆に、本当にそうなのだろうかと思ってしまった。そんなことがあって、茂木さんの『欲望する脳』を買ったのだ。茂木さんは1962年生まれだから、私よりは18歳も年下である。そんな年下の人の本を読むことになるとは思いもしなかった。

 昨夜、NHK教育テレビで吉本隆明氏が講演していた。83歳だったか84歳になった吉本氏がどこかの講堂で、もつれる舌で必死に話しているのを垣間見て、まるで死んで行く人が最後の力を振り絞って、己の説を解き明かしているように思えた。私が吉本氏の本を最初に手にしたのは大学1年の時で、『芸術的抵抗と挫折』であった。開いては見たものの、ちんぷんかんぷんでさっぱりわからなかった。安保闘争の敗北から来る挫折感が、大学には漂っていて、それは同時に2期校にしか進めなかった自分の挫折と重なって、私の心にすんなりと入ってきた。

 昨夜は孫娘とトランプなどして酔っ払っていたから、しっかり見ることはできなかったけれど、自分がとてつもなく偉い人だと思っていた吉本氏もこんなにも年老いたのかと思った。キリストは若くして死んだけれど、孔子は長生きしたから、きっとこんな風に弟子たちに自分の思いを伝えたのだろうなと思った。とりあえず、『欲望する脳』を読んでみることにしよう。
コメント
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