友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

やかましいテレビ討論

2009年01月11日 19時48分26秒 | Weblog
 友人や知人の話を聞いていて気がついたことがある。若い頃ならほとんど話題にならなかったテレビの国会中継や政治討論をよく見ていることだ。若い頃は、茶番劇だと決め付けて馬鹿にしていた。ところが、つまらないものと決め付けて見向きもしなかったのに、意外にみんなが見ているのだ。それだけ私たちが歳を取ってきたということなのだろう。昔の年寄りもそうだったように、時間にゆとりがあることも政治の世界に関心を持たせているのかもしれない。

 今日は日曜日で、田原総一郎氏の『サンデープロジェクト』で前半は「6党幹事長徹底生激論」が、後半は「地方議会の自己改革・日本の政治は変わるか」が取り上げられるというので、テレビを見ていた。田原氏はじっくり相手の言い分を聞くタイプではないから、私は好きではない。そもそもテレビでの政治討論はやかましいばかりで、とても真面目に聞こうという気になれない。それでも後半を見るために、前半もやむを得ずに見ていたが、結局何だったのかと思い、やはり嫌気が差した。

 後半の地方議会の自己改革についても、「学芸会のように原稿をよむばかり」の議会から、討論ができる議会へ変わってきている例がいくつか挙げられていたけれど、もちろんその形は重要な課題ではあるけれど、形だけが整えばよいわけではないことまで、つまり議会とは何か、銀とは何をすべきかまで迫って欲しかったと思った。レポターが「住民の目が議会を変える」という結論は、それ自体は正しいし、そうなって欲しい。それでもなお、議会とは何かという問題は残るだろう。

 地方議会の議員となってみて、情報公開と住民参加を徹底させたなら、議会は必要ないのではないかと思った。自分たちの自治体を自分たちで作り上げていく。全ての住民に情報が提供され、発言の機会が保障されるようであれば、議会が無くても運営できると考えた。そうなっていくことが自治の基本かもしれないが、今はそうではないし、基本などと書いたけれど、実は進行していく過程で、もっといい自治の形が生まれてくるのかもしれないから、これを絶対などと考えずに、今よりもよい形にしていくことだと思う。

 地方議会がどのように行なわれているのか、多くの人は余り知らない。ならば知ってもらうために全て公開すればよいし、公開の方法が閉鎖的なら丸見えになるように変えればいい。「議会の権威が損なわれる」などと、「権威にしがみついた議員」は言うかもしれないが、議会の役割について徹底論争するよい機会だ。私は大勢での論争が苦手だけれど、まず相手の言い分を聞き、自分はこう思うと述べることはできる。自己主張だけでなく、双方が交互に言い合えることが大事だとテレビを見ながら思った。
コメント
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