友々素敵

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理は通らず、利に向かうのはなぜ?

2009年01月06日 21時45分16秒 | Weblog
 イスラエル政府が4日(現地では3日夜)、パレスチナ自治区ガザへ地上部隊を侵攻させた。年末から空軍と地中海から艦隊による「空爆」を続けてきたが、戦車部隊を中心とする地上軍を投入したのだ。このため、パレスチナ人の犠牲者はいっきに増えたばかりか、イスラエル兵士も何人かが犠牲となった。

 イスラエル政府は「ガザ地区にはイスラム原理主義組織ハマスのロケット兵器があり、これを根絶するまで攻撃を続ける」と言い、ハマス指導者の住居と思われる場所を爆撃している。報道では学校も病院も教会も爆撃を受けている。これに対してハマス側は「最後の一人まで徹底的に戦う」と宣言している。

 今日の中日新聞の『中日春秋』は、ガザはガーゼの発祥の地で、この戦闘のために「おびただしい量のガーゼが血に赤く染まっているだろう」と訴えていた。「誰かが今すぐ、軍事行動にブレーキをかけねばならない。唯一、それができるのは米国だが、そんなつもりはさらさらないようだ。(略)片方に深く肩入れする米国が和平の最大の「仲介者」だという矛盾が、この問題のいつまでも好転しない要因の一つである。一方の選手のセコンドがレフェリーも兼ねるボクシングの試合にフェアな展開など望むべくもない」。

 イスラエルとパレスチナはボクシングをやっているのではなく、殺し合いを、しかも大量の武器を使い、いかに多くの人を殺すかを競っている。「民間人に犠牲者が出ている」との記者の非難に対し、イスラエル政府高官が「戦争をしているのだから、やむをえない」と公言していたが、兵士同士ならば殺し合ってもいいというような発想の質問をする記者もどうかしている。

 イスラエルが言うように、自国の国民の安全を確保するためにハマスを潰すというなら、潰される側のハマスも全員が死ぬまで戦うということになる。逆でも同じだ。イスラエルが土地を奪ったのだから奪い返す。そのためには石を武器にしてでも戦うとパレスチナ人は言ってきた。どこまでいっても終わらない戦闘になってしまう論理を断ち切らなくては、永久に平和は来ないことになる。

 生活の場である土地が欲しいのは、イスラエル人もパレスチナ人も同じ欲望であるはずだ。同じ欲望であるならば、それを実現することも不可能ではないと私は思う。これまでもみんなそうしてきた。昔の人に聞くと、田植え時期には水を巡って殺し合いもあったそうだ。欲しいものは同じなのだからルールを決めて分け合う、そんな仕組みをつくってきた。

 殺し合うよりは、お互いが我慢する方が理に合っていると思うけれど、どうして人間は理に合ったことをせずに、利に走るのだろう。元行政改革担当大臣の渡辺喜美氏が自民党を離党と新聞は報じていた。定額給付金撤回を麻生首相に求めたが拒否されたためだ。定額給付金で経済の建て直しなど図れるわけがないことは当然のことだ。けれどもここでも、理は通らずに利に向かっている。

 人間が馬鹿だからではなく、むしろ人間が自己あるいは自国を守ろうとするからだろう。人の死の上に守るものがあるのだろうか。
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