友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

市長選挙の応援

2009年01月24日 22時48分19秒 | Weblog
 市長選挙の応援に行ってきた。無党派・市民派の候補で、私たちの仲間が応援している。民主党の県議を辞しての立候補で、民主党は自民・公明とともに現職の相手候補を応援している。これまでの構図なら、圧倒的に現職有利という選挙だ。ところが、私たちの仲間である市議が「大逆転だよ。応援に来て!」というので出かけていった。これまでの市長選挙は無投票であったが、ここに来て大きく変わってきていると声を弾ませて言う。それならば、自分の目で確かめたいと思った。

 出かけてみてわかったが、全国からたくさんのバッヂをつけた皆さんが応援に駆けつけている。中でも時の人である渡辺喜美氏が応援に来た時は、さすがにたくさんの人々が集まってきた。渡辺氏の応援演説は誠にわかりやすい。多分この地のことはご存じないし、市長選挙で何が争点なのかも学習する余裕はなかったと思う。それでも難なく応援演説をこなしたのは、やはり経験というものだろう。力強く「ここから日本を変えよう!」と市民に呼びかけていた。

 若い人々がこんな風に、選挙を変えようとしていることに、私は自分を古い人間だなと思った。「変えよう!」のキャッチフレーズはいいけれど、何をどう変えるのかと私は思ってしまう。相手候補は60代の現職で、これまでは無投票でポストを得てきた。それが33歳の若造が立候補したために、選挙戦に突入することになった。どうせ泡沫候補だろうと思っていたのに、かなりの勢いで攻めてくる。「土下座してでも、とにかく勝てればいいのだ」と相手の幹部は言ってるそうだから、そのなりふりかまわぬ選挙戦術は注意する必要がある。

 結果は明日の夜にはわかることだが、確かに当選することが一番大事なことだろうけれど、私はその課程こそが大事だと思っている。日本に民主主義が根付くためには、地域エゴではなく、その自治体をこれからどうして行くのかを問うものでなくてはならない。そうしてみんなが、自分や地域のエゴから抜け出し、理想的な地域を造る視点に立てば、新しい政治の形が見えてくる。だから当選すればよいわけでは決してない。

 全国から応援に駆けつけてくれた市長や議員の中には「生き生きとした街づくり」とか「この地域のブランドを生かした政策」とかを口にされていた。そういうことも選挙では大事なことかもしれないが、私自身はそんなことはどうでもよいことではないかという気がしてならない。この街が全国一になろうとそんなことが問題ではないはずだ。ここに住む人々が気持ちよく暮らせることが一番大事なことで、そのための最低限な政策とその実施こそが求められる。そしてまた、これを実現する手段として、市民参加の政策が必要なのだと思う。

 明日は投票日である。私たちの仲間がかかわっている市長選挙でぜひとも当選の知らせを聞きたいものだと思う。
コメント
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