友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

葬儀の手伝いがいいのではないか

2009年01月20日 22時20分54秒 | Weblog
 NPO法人「おたすけ」の初寄りは、もちろん仕事の話が第一だが、時々脱線して話が飛ぶことがある。「おたすけ」の当面の課題である井戸掘りの技術面・装備面をどのようにアップさせるかについて話し合った。技術も装備も、それほどお金をかけずにアップさせることができるようだ。経験と研究が物をいう。タダで年を重ねていない。もう少し、暖かくなってきたなら、考案した装備と方法で実際に試してみようということになった。

 お正月休みに老人ホームを見てきた人がいて、「ああいう施設はどうして明るいところと暗いところがあるのだろうか」と言う。「ウチのは自宅をたたんで、老人ホームに入るつもりでいるが、私は家に愛着があり、出来れば家で最後を送りたい。子どもの世話にならず、老人だけでは暮らせんものなのかな」と続く。「私が見たテレビでは、何人かの人が自分の家や土地を処分して、そのお金を元にして共同生活をするものだった。それなら資金もできるのではないか」。

 「気心が知れている仲間であることが大事だろうね。それと、気心が知れているからと言ってもプライバシーが守られる部分がないと続かないのではないか。女の人は比較的共同生活に早く慣れるが、男はなかなかできない。デイサービスなんか見ていても、女の人は仲良くやっているのに、男はその輪に入りきれない。ある程度、個人を尊重しなおかつ共同生活できる仕組みが要るね」。

 「グループホームのようなものではなくて、何軒かの家庭が共同で介護士やヘルパーを雇用することは出来ないのかな。それぞれが今まで住んできた家で過ごしながら、同じ人にお世話になることはどうなのかな」。「それは出来ないことではないけれど、それならば今のシステムと変わらない。昔なら、働き終わればそれでもう死を迎えたのに、今は働き終わってからの第2の人生が長いから、これをどうしていくかということに問題がある。要するに、子どもたちや次の世代の人たちに迷惑にならないようにすることが第1であるし、第2には私たち自身も楽しんで生きていられることだと思う」。

 「日本人はまだ子どもに期待しているところがあるのではないか?財産を残してやりたいと親は考えるが、それは自分の面倒をみて欲しいという気持ちからではないか?けれども、子どもにしてみれば、ありがた迷惑でしかないと思う」「葬儀についても、どうしてあんなにお金をかけるかと言えば、葬儀屋さんから『あなたのところならこれくらいです』と言われ、とにかく亡くなった人を抱えて何もわからないから、言われるままにせざるを得ない」。「でも最近ではそういう見栄を張ることを止めようと言う人たちも出てきた」。

 「それ、いいですね。私たちなら一切合財30万円で葬儀をします!をキャッチフレーズにして葬式アドバイザーをNPOでやってもいいんじゃない。本当に困っている人はいますよ。ぜひ、NPOでこれからの葬式を提案したなら、これ仕事になりますよ」。「お寺さんは葬式仏教になってしまっているし、本当の意味で死者を送ってあげる手伝いをする仕事があってもいいと思うね」。「差し当たって、こういう葬儀にして欲しいと遺言を残しておかないとダメだね。それが残された家族のためだよね」。などと続いた。
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