友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

設問そのものが愚問なのかも

2009年01月12日 19時42分37秒 | Weblog
 今日は寒い。冬は寒くて、身体がガタガタ震えて止まらないほどの時が、昔はあった。最近ではそんな覚えがないから、暖かな日が多いのかそれとも暖房がよくなったのか、そんなことを思い巡らしていたが、今日は風が強くとても寒い。私の部屋は西側に大きく窓があり、鈴鹿の山々をはじめ、その右手には真っ白な伊吹山がよく見える。北に目をやればはるか白山連峰を眺めることができる。

 今日の伊吹山は忙しく様変わりしていた。伊吹山の後方に真っ黒な雲が立ち込めてきたかと思うと、強い風に煽られてどんどんこちらへ広がってくる。その様子は恐ろしいほどだ。すると粉雪が舞い、やがて霙模様となった。しかしそれもつかの間で、雪雲が切れるといつの間にか青空が見える。風は相変わらず強く吹き抜けていくが、青空から太陽が顔を出す。それでも庭の植木が大きく揺れ、落葉樹は丸裸となって寒さに耐えているように見える。

 友人と経済の話をしていた時、彼は「なあに、心配することはないと思う。朝の来ない夜はないから」と言う。確かに、こんなにも凍えそうな天気なのに、そんな日ばかりが何日も続くことはない。冬が来れば春も来る。地球も長い間、氷河期が続いたけれど、今日のような安定した気候になった。けれども、人間の営みが新たな気候変動を誘発しているのかもしれない。これからどうなるのかはわからないけれど、人の智恵や力では解決できないことならば、それは仕方がない。御心のままにと祈るほかない。

 友人は続ける。「人間の歴史を見てもそうじゃないですか。ローマは栄えやがて滅んだ。ヨーロッパは世界を支配したけれど、覇権はアメリカに移った。今、アメリカは力を失いつつある。それでも人間は生きている。生き続けている。いつも智恵を働かせ、危機を乗り越えてきた。淘汰ではないかもしれないが、やがて収まるところに収まる。そういうものではないですか」。

 私もそう思う。一つのものが壊されていくように思うけれど、それによって新たなものが生まれてくる。そうやって人間は生きてきた。生物の時間に「個体発生は系統発生を繰り返す」と聞いたけれど、科学でなくても以外に個人の生活もそうなのかもしれない。そういえば、もう一つ「質量保存の法則」を思い出す。どんな風に変わろうとも、質量は変わらないのだから、地球は何億年も前と表面的には様変わりしているけれど、結局何も変わってはいないとも言えるだろう。

 地球に何らかの変動が起こり、人の智恵と力ではそれを食い止めることができなくなっても、地球そのものは変わらないのか、それともビックバンが発生して宇宙に大変動が起きても、宇宙そのものは変わらないのか、「やぶれ」を研究していた益川さんや小林さんならきっと答えを知っているだろう。いや、そもそもこの設問そのものが愚問何かもしれないな。
コメント
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