友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「この男は偉いヤツだ」

2009年01月16日 22時10分56秒 | Weblog
 東大紛争で思い出すことがもう一つある。カミさんの父親は警察官で、実際に泥棒も捕まえたことがあるガッツのある人だった。一緒に食事をした時にはよく自分の生い立ちなどを話してくれた。本当は学校の先生になりたかったが、家の事情で進学できずに呉服屋に丁稚奉公に出たそうだ。それなら、店を持ってやろうと働いたけれど、病気になり実家に戻った。そこで警察官の募集を知り、結局は警察官の道を歩くことになった。

 兵隊にも徴集されたが、若くなかったから戦地に行かずに終戦となったと聞いた。「戦後の経済警察は面白かった」と言う。規制違反の取締りで、「どれだけただ酒を飲んだかわからない」とも言っていた。お酒が入ると本音が出る人で、悪いことをした人が話題になると「こんなヤツは殺してしまえ」と言ってはばからなかった。そんな義父がテレビに映った東大全共闘の山本義隆氏を「この男は偉いヤツだ」と言った。どうしてそう思ったのかわからないが、後日、古本屋で山本氏の『知性の反乱』を見つけて思わず買ってしまった。

 義父の話を聞いていて、警察と軍隊の違いがわかった。警察はあくまで治安維持の機関だ。たとえ時の政府が悪政であろうと現状を維持することに全力を尽くすように叩き込まれている。これに対して軍隊は、たとえば2.26事件のように、現状に対する不満が爆発すれば政府に楯突く。特に日本やタイのように王国ならば、御旗が有効に作用する。田母神前幕僚長は「政府見解は言論統制だ」と平気で言えるが、警察官僚は決して政府批判はしない。

 義父はおそらく矛盾した社会の中で生きていたばかりでなく、その社会を支える側にいたのだから、腹の立つことも多くあったのだと思う。警察の組織が変わり、義父のように熱い思いはあっても学歴がないとトップになれないことが明らかになった。何人かの部下を抱える立場にあったけれど、それは義父が思い描いていた地位ではなかったのだろう。多分そんな時に陶芸に出会ったのではないだろうか。もともと器用な人だったし、出会った陶芸家にも恵まれ、勤務の傍らで陶芸に打ち込むようになった。

 退職する頃だったか、家を建て、庭に陶芸の窯を作り、焼き物に専念するようになった。陶芸の作品を扱う画廊で作品展も開いた。作品の評価も高く、これからさらに腕を磨き、「陶芸家を目指す」意気に燃えていたが、ガンが義父の身体を冒し始めていた。やりたいことをやってきた点では義父も満足な生涯であったと思う。義父が山本氏を「偉いヤツ」と言ったのは、何かに向かって突き進む男気を見て取ったのではないだろうか。

 警察官だった義父が、機動隊と対峙した全共闘の議長を評価したことが私には理解できなかったけれど、テレビドラマの中で、全共闘の学生が機動隊に「われわれの敵は皆さんではないし、皆さんの敵はわれわれではない」といった内容の演説をしていて、機動隊員はうなずくことはなかったけれど聞き入っている様子が映し出されていた。義父はデモ隊にはあからさまな嫌悪を見せたのに、なぜ山本氏を別個に見ていたのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする