おかしな天気だ。今日は暑かった。朝9時からから井戸掘りを始めて、午後2時半ごろには今日の作業を終了した。作業は比較的順調に進んだけれど、暑さが身にこたえた。ノドが乾いて、水を求める時間がどんどん短くなった。埋め立て地に家が建ててあるから、その埋め立てにどんな土が使われているか不安だった。場合によってはコンクリートの塊や石や瓦など、思いがけないものが使われている。50センチ四方の石板を4枚取り除く。ものすごく重い。そこにスコップで穴を空けていく。上の部分には山土が使われているが、その下は石などひとつもない畑土で埋められていた。これなら、掘れるのではないだろうかと希望が湧く。
水を打ち込んで掘り進めるので、たくさんの水が必要である。ところが水道からのホースが細すぎて水を溜まるのに時間がかかる。太いホースを買いにいってもらう。庭が狭いので、水槽の置き場所は穴を掘っている場所から7から8メートル離れている。水槽から打ち込む水の勢いが弱まるのではないかと心配したが結果としては大丈夫であった。8メートルほどのところに水脈があったようで、その手ごたえが強くあった。早速、吸い上げ管を降ろして汲み上げてみる。水量は多く、水質もいい。この作業を依頼主に見てもらいたかった。それでも汲み上げるところを見てもらったことや汲み上げた水を手にしてもらい、「冷たいね」と喜んでもらえたので、疲れは吹っ飛んだ。
全ての作業を終了し、帰宅する時に空を見上げたら、真っ青だった。「昼間はうだるような暑さだったのに、この空はまるで秋の空だ」と友だちが言う。確かに、夏の空ならもっと雲が発生していてもいいのに、雲はどこにも見えない。それにどうしたことか、夕方から強い風が吹いている。北西の風で、吹き荒れているような感じだ。夏が過ぎていっきに秋がやってきたのかとさえ思った。そんな馬鹿なことをと思われるかもしれないが、人生がこんな風に狂ってしまったなら、人は自分の人生を呪うことだろう。
人生はよく四季に例えられる。木々が芽吹く春に生まれ、青々と元気の良い春から働き盛りの夏へと向かい、そして紅葉の秋となり、落ち葉の冬で人生を終わると。ところが青々とした春からいっきに落ち葉の秋になってしまうなら、いったい自分は何をしてきたのかと嘆くことだろう。でも、よく考えてみれば、人は誰でも1日は24時間であり、1年も同じ時間が流れている。自分だけが特別に短いわけではない。ああでもない、こうでもないと自分の人生を嘆くのは、まだ未練があるということだろう。
未練がなくなってしまったなら、もう生きている意味がないということだ。だから人はいつまでも未練があって、不満があって、悔いがあって、ああでもこうでもという愚痴があって、不完全で、未熟で、どうしようもなくて、いいのだと私は思っている。菅直人首相にこれを問えば、きっと「そのとおりです」と言うだろう。何しろあの人は恐妻家といわれている人だから。
水を打ち込んで掘り進めるので、たくさんの水が必要である。ところが水道からのホースが細すぎて水を溜まるのに時間がかかる。太いホースを買いにいってもらう。庭が狭いので、水槽の置き場所は穴を掘っている場所から7から8メートル離れている。水槽から打ち込む水の勢いが弱まるのではないかと心配したが結果としては大丈夫であった。8メートルほどのところに水脈があったようで、その手ごたえが強くあった。早速、吸い上げ管を降ろして汲み上げてみる。水量は多く、水質もいい。この作業を依頼主に見てもらいたかった。それでも汲み上げるところを見てもらったことや汲み上げた水を手にしてもらい、「冷たいね」と喜んでもらえたので、疲れは吹っ飛んだ。
全ての作業を終了し、帰宅する時に空を見上げたら、真っ青だった。「昼間はうだるような暑さだったのに、この空はまるで秋の空だ」と友だちが言う。確かに、夏の空ならもっと雲が発生していてもいいのに、雲はどこにも見えない。それにどうしたことか、夕方から強い風が吹いている。北西の風で、吹き荒れているような感じだ。夏が過ぎていっきに秋がやってきたのかとさえ思った。そんな馬鹿なことをと思われるかもしれないが、人生がこんな風に狂ってしまったなら、人は自分の人生を呪うことだろう。
人生はよく四季に例えられる。木々が芽吹く春に生まれ、青々と元気の良い春から働き盛りの夏へと向かい、そして紅葉の秋となり、落ち葉の冬で人生を終わると。ところが青々とした春からいっきに落ち葉の秋になってしまうなら、いったい自分は何をしてきたのかと嘆くことだろう。でも、よく考えてみれば、人は誰でも1日は24時間であり、1年も同じ時間が流れている。自分だけが特別に短いわけではない。ああでもない、こうでもないと自分の人生を嘆くのは、まだ未練があるということだろう。
未練がなくなってしまったなら、もう生きている意味がないということだ。だから人はいつまでも未練があって、不満があって、悔いがあって、ああでもこうでもという愚痴があって、不完全で、未熟で、どうしようもなくて、いいのだと私は思っている。菅直人首相にこれを問えば、きっと「そのとおりです」と言うだろう。何しろあの人は恐妻家といわれている人だから。