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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

相手に接すれば自分を知ることができる

2010年06月16日 22時25分59秒 | Weblog
 南アフリカで行なわれているサッカーのワールドカップで日本チームが初戦に勝利した。あれほど岡田武史監督を批判していたマスコミが揃って賞賛している。サポーターの中にも「悪口ばかり言ってごめんなさい」と謝っていた人もいたし、批判したことは忘れて、「最高の監督!」と褒める人もいた。人間の心理はこんなものかもしれない。期待していたのに、練習試合では4連敗と全く振るわなかったので、監督が悪い、作戦が下手だ、選手の使い方がなっていない、などなど言いたい放題であった。

 それが初戦に勝ったら次も絶対に勝つだろうというような雰囲気が支配している。スポーツを熟知しない私が偉そうなことを言う資格はないけれど、スポーツなのだから勝ったり負けたりして当然なのではないのか。一生懸命に練習を積み重ね、技量を磨き、チームワークを高めたなら、絶対に勝てない相手にだって、万が一ということがあっていい。スポーツは筋書きのないドラマだと誰かが言っていたとおりだ。小が大を制すれば拍手喝さいとなる。奇跡の逆転ほど人々を興奮させるものはない。

 民主党が常勝軍団の自民党から政権を奪い取った時も同じようなものだった。だから民主党への期待は膨らんだが、鳩山・小沢問題でいっきに幻滅してしまった。期待が大きければ大きいほど、幻滅感も大きくなるから、岡田監督への八つ当たりのような言論も生まれる。それがたった1つ勝利しただけでコロリと評価は変わってしまうのだから、人間の心の動きは怖い。群衆はそれが常だから仕方ないけれど、マスコミはどうしてもっと高い位置からものが見られないのかと思う。マスコミが群衆と共にあるようなら、役割は果していないと同じだ。

 先日も飲みながらみんなで話していた時、その蘊蓄に仰天し、これはメモを取っておくべきだとばかりに紙とペンを借りて書きなぐった。この日も、アイディアを思いつくとすぐに書けるように枕元に紙とペンを置いてあるという人がいた。こういう方法論もいいアイディアであるが、もう少し人生における議論が交わされたはずだと、当日のメモを見てみるのだけれど、脈絡がつかめない。「人生は長さではない。中身の問題だ」とか「人は生きているのではなく、生かされている」とか、「欲望は生きている限りある」とか、そんな殴り書きが羅列してあるが、どういう繋がりだったのか、思い出せない。

 思い出せたことは、「自分を知ることは、相手に接してこそできる。いろんな人に会うことで自分を知ることができる」。この結論から何が導き出されたかというと、「それではぜひ、こういう機会(つまりは飲み会)を設け、大いに語り合おう」ということだった。よく知りもせずにただ期待して、応えないとか裏切られたとか、そんなスケールではなく、大いに語り合うことで相手を知り、己を知る、この地道な努力こそが平和への近道であると、実に世界的なスケールの発想が生まれてきたのだ。
コメント (1)
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