今晩は久しぶりの誕生日会である。台湾旅行以来だから、台湾での写真などを持ち寄り、また大いに話が盛り上がるであろう。私たちのような年金暮らしは、決まったお金しか入ってこないので、特別な喜びはないけれど、借金もないから、支出を節約してお金を積み立て、旅行へと出かける人たちは結構いる。国内のバス旅行でも、女性たちのグループか夫婦連れが圧倒的だ。海外旅行となると、定年後の男性たちがたまにはグループで参加することもあるようだ。
旅行は日常から解放されるから、「旅に出たい」と願うのは女性が多いのかもしれない。先日のクラス会でも女性たちの愚痴は圧倒的に「どうしようもないダンナが毎日家にいる」ことだった。家にいるので3度も食事を作らなくてはならないことへの不満である。家庭生活は共同作業であると理解はできていても、男たちはこれまで外で働いてきたから、家事をどのように負担したらよいのかわからないし、心の中に家事は女の仕事という意識があるのかもしれない。
退職後のダンナを家庭に落ち着かせることはカミさんの手腕だと思う。けれど、女性たちに言わせれば、そんな面倒なことまでしたくない、せめて濡れ落ち葉のようにべったりとまつわりつかないで欲しいということらしい。そこで、ダンナが家にいるならば自分が外へ出かけた方が良いとばかりに、サークル活動や趣味の仲間や学校の友だちやイヌ友なども生まれて、せっせとお出かけになる。男は友だちをつくることに長けていないので、家でテレビを見ているか外へ出かけてもパチンコなどでヒマを潰すことになる。
アンナ・カレーニナも『人形の家』のノーラも、チャタレー夫人やヴォバリー夫人も、そこで生きていることはどういうことなのかと考えたのだろう。男たちだって、何も考えないわけではないし、女たちだって、みんながみんな考えるわけではないけれど、男も女も多くの人の結論は「考えたところでどうしようもない」というものだ。そうでなければ、アンナやノーラやチャタレーやヴォバリーのように、日常生活に身を置くことができなくなると知っているからだ。
「人と接することで自分を知ることができる」と、言っていた人がいたけれど、自分を知りたいというよりも、本当は人と接することに人は憧れるのかもしれない。旅をするのも、知らない土地の知らない風景や物を見たいというよりも、知らない人との出会いを求めているのかもしれない。そこまでいうとちょっとオーバーだなと自分でも思った。まだ見たことのない景色を見たり、建物や史跡を見たりすることは心躍るものがある。だから、旅をしたいという気持ちはもう少し次元が違うのかな。
旅はひとりで気ままに行くか、気心の知れた仲間と馬鹿なことを言い合いながら行くのがよい。食事の時のひとりは余りにも寂しすぎるので、お酒を酌み交わす仲間がいる方がいいなと思う。さて、そろそろ時間だ。カミさんが「何をしているの?」と叫んでいる。私も何かお手伝いをしてこよう。
旅行は日常から解放されるから、「旅に出たい」と願うのは女性が多いのかもしれない。先日のクラス会でも女性たちの愚痴は圧倒的に「どうしようもないダンナが毎日家にいる」ことだった。家にいるので3度も食事を作らなくてはならないことへの不満である。家庭生活は共同作業であると理解はできていても、男たちはこれまで外で働いてきたから、家事をどのように負担したらよいのかわからないし、心の中に家事は女の仕事という意識があるのかもしれない。
退職後のダンナを家庭に落ち着かせることはカミさんの手腕だと思う。けれど、女性たちに言わせれば、そんな面倒なことまでしたくない、せめて濡れ落ち葉のようにべったりとまつわりつかないで欲しいということらしい。そこで、ダンナが家にいるならば自分が外へ出かけた方が良いとばかりに、サークル活動や趣味の仲間や学校の友だちやイヌ友なども生まれて、せっせとお出かけになる。男は友だちをつくることに長けていないので、家でテレビを見ているか外へ出かけてもパチンコなどでヒマを潰すことになる。
アンナ・カレーニナも『人形の家』のノーラも、チャタレー夫人やヴォバリー夫人も、そこで生きていることはどういうことなのかと考えたのだろう。男たちだって、何も考えないわけではないし、女たちだって、みんながみんな考えるわけではないけれど、男も女も多くの人の結論は「考えたところでどうしようもない」というものだ。そうでなければ、アンナやノーラやチャタレーやヴォバリーのように、日常生活に身を置くことができなくなると知っているからだ。
「人と接することで自分を知ることができる」と、言っていた人がいたけれど、自分を知りたいというよりも、本当は人と接することに人は憧れるのかもしれない。旅をするのも、知らない土地の知らない風景や物を見たいというよりも、知らない人との出会いを求めているのかもしれない。そこまでいうとちょっとオーバーだなと自分でも思った。まだ見たことのない景色を見たり、建物や史跡を見たりすることは心躍るものがある。だから、旅をしたいという気持ちはもう少し次元が違うのかな。
旅はひとりで気ままに行くか、気心の知れた仲間と馬鹿なことを言い合いながら行くのがよい。食事の時のひとりは余りにも寂しすぎるので、お酒を酌み交わす仲間がいる方がいいなと思う。さて、そろそろ時間だ。カミさんが「何をしているの?」と叫んでいる。私も何かお手伝いをしてこよう。