友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

音の世界は面白い

2010年06月28日 21時42分26秒 | Weblog
 暑い。これだけ暑いと本当に何もしたくない。ジッとしていても汗ばんでくる。とうとう我慢できずに倉庫から扇風機を持ってきた。これからまだ暑さは続くのだろうけれど、「暑い、暑い」と言いながらも夕方になれば涼しくなるし、夜になればすっかり暑さも忘れてしまう。これは地表から30メートル上にある我が家の利点である。しかし、我が家は西側にも窓が開かれているので、天候のよい夏は強い西日が部屋中に差し込んでくる。

 今朝、友人がゴウヤとアオシソとオクラの苗を持ってきてくれた。ゴウヤは西日よけに窓際に置くとよいと言うのである。アオシソ以外は皆元気がなかったけれど、果たして明日の朝には元気を取り戻しているのだろうか。私は基本的には花木は育てるけれど、野菜は植えないと決めている。食べるよりもまず目で楽しみたいと思うからである。オクラは芙蓉のような花がいいし、もちろんその実も好きだ。しかし、この暑さの中での移植なので、うまくいくだろうかと心配している。

 オクラはアフリカが原産地と聞いた。だから暑さには強いというが、我が家は地表30メートルのところにあり、しかも遮るものが何もないので、風には全くお手上げである。いつも突風のためにへし折られてダメにしてしまう。今年こそは、花だけでなく実も十分に味わいたいと願っている。アオシソは元気でどんどん大きくなり、その葉はいくら取ってもまたすぐに出てくる。これはサラダに使われることが多い。

 植物には原産地があるが、歌にも原産地があることは興味深い。昔、NHKラジオの番組で日本の民謡について放送していた。江戸時代までは船が民謡の伝播に重大な役割をしていたようで、港から港へと歌い継がれていったと言う。確かに民謡を聴くと似ているなあと思った。先日もテレビで、熊本のわらべ歌とピンキーが歌った『恋の季節』が同じメロディーであることを解説していた。26抜きの短音で成り立っているそうだ。47抜きの音階についても説明していた。音というものは原始的なだけに興味深い。

 自分のことを振り返ってみると、音とか絵とか文字に、特に文字で綴られた文章に興味を持っていたように思う。確かに宇宙とか昆虫とか、そういうものにも興味がないわけではないけれど、どちらかと言えば、人が作り上げた世界に関心があったようだ。神社を見れば、その厳かな雰囲気はなぜ生まれるのか、なぜ厳かと思うのか、神社の形や形式がどうして生まれてきたのか、そこで何が言われ、何が受け継がれたのか、そういう人の営みがどうして生まれたのだろうと思って来た。

 音はとても面白い。人間がまだ言葉を確立していない時から、音は共通認識と存在していたらしい。音に共鳴あるいは共有することで、安心とか安堵を持っていたようだ。ここから音による連帯感とか安心感とかを広めていったのだろう。音が今なお、人間にとって極めて深いつながりとなることは最もだと思う。言葉ではつながらなかったが、音なら振り向かせることができる。しかし、理解が生まれるためには言葉がもっとも重要な働きをすることになるようだ。
コメント
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