今日は「父の日」である。子どもたちが独立してからは、余り意識することが無かったけれど、今日は娘ふたりからメールが届いた。「いつも感謝しているよ」という内容だけれど、感謝されるようなことをしていないだけにちょっと照れる。「ちゃんと、ダンナのお父さんにもメールしておくんだよ」と返信してから、あの子たちのことだからキチンとやっているのにまた余分なことを言ってしまったと思った。
孫娘は来週からは期末試験が始まろうというのに、今日は水泳の試合とかで、「先輩と一緒に食事をしてから帰ります」と連絡があったらしい。長女はそんな娘を「だんだんと大人になるあの子がかわいいです」とメールに書いて寄越した。そんな風に受け止められるあなたこそ立派な母親じゃないのと私は感心した。娘たちが立派な大人になったということは、それだけ私は年老いたということだ。サムエル・ウルマンに言わせれば、「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う」「理想を失うとき初めて老いる」と。しかし現実は、人は年齢と共に老いる。
もちろん、生き方としてはサムウエルが言うとおりだ。「20歳の青年よりも60歳の人に青春がある」ことも人によってはあり得る。分別臭い年寄りのような若者がいる。好奇心の塊のような老人もいる。青春を論じるなら、見掛けよりも中身だと言えなくも無い。けれどもやはり、肉体は必ず老いていく。若々しい肉体の人もいれば、年齢よりも老けた肉体の人もいるが、その差はたいしたことはない。私は精神年齢も肉体年齢も若いつもりでいたけれど、どうも最近では歳相応になってきたように思う。
私の父親は小学校の校長だったが、世間知らずだった。世相に疎いというか、人間には悪い人はいないと思っていたところがある。お金については全く無頓着で、真面目に働けば自然とお金が入ってくるように思っているような人であった。世間を知らないと書いたけれど、戦争で日本は負けるだろうと思っていたような人であったし、60年安保闘争で日本は変わるだろうと期待していたところのある人だ。聖人かと言えば決してそうではなくて、同じ職場の若い女性教師を熱烈に恋していたそうだ。
母はそんな父に時にはヒステリーを起こしていたそうだけれど、私が知っている二人は仲良しで、母は父を認めていたし、父も母を愛していた。母が現実的な人ならば、父はこの世の人ではないような不思議な人であった。私にとって父は、友だちのような存在で、同志のように包み込んでくれる人であった。怒ったり非難したり馬鹿にしたり、そういうことが全く無かった。私は、多分、父からすれば勝手なことをしたこともあると思うけれど、一度も叱られたことが無かった。黙って見守るというのが父の態度であったし、私が高校生の時に文芸部の友だちに頼まれて散文を書いた時は、「なかなか、いいね」と褒めてくれた。
書くことが好きなのは父親の血を受け継いでいるのかもしれないが、父親を乗り越えることを目標に生きてきたのに、結局どうだったのだろう。そんなことを言うとまだ決まったわけではないと娘たちに叱られそうだ。
孫娘は来週からは期末試験が始まろうというのに、今日は水泳の試合とかで、「先輩と一緒に食事をしてから帰ります」と連絡があったらしい。長女はそんな娘を「だんだんと大人になるあの子がかわいいです」とメールに書いて寄越した。そんな風に受け止められるあなたこそ立派な母親じゃないのと私は感心した。娘たちが立派な大人になったということは、それだけ私は年老いたということだ。サムエル・ウルマンに言わせれば、「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う」「理想を失うとき初めて老いる」と。しかし現実は、人は年齢と共に老いる。
もちろん、生き方としてはサムウエルが言うとおりだ。「20歳の青年よりも60歳の人に青春がある」ことも人によってはあり得る。分別臭い年寄りのような若者がいる。好奇心の塊のような老人もいる。青春を論じるなら、見掛けよりも中身だと言えなくも無い。けれどもやはり、肉体は必ず老いていく。若々しい肉体の人もいれば、年齢よりも老けた肉体の人もいるが、その差はたいしたことはない。私は精神年齢も肉体年齢も若いつもりでいたけれど、どうも最近では歳相応になってきたように思う。
私の父親は小学校の校長だったが、世間知らずだった。世相に疎いというか、人間には悪い人はいないと思っていたところがある。お金については全く無頓着で、真面目に働けば自然とお金が入ってくるように思っているような人であった。世間を知らないと書いたけれど、戦争で日本は負けるだろうと思っていたような人であったし、60年安保闘争で日本は変わるだろうと期待していたところのある人だ。聖人かと言えば決してそうではなくて、同じ職場の若い女性教師を熱烈に恋していたそうだ。
母はそんな父に時にはヒステリーを起こしていたそうだけれど、私が知っている二人は仲良しで、母は父を認めていたし、父も母を愛していた。母が現実的な人ならば、父はこの世の人ではないような不思議な人であった。私にとって父は、友だちのような存在で、同志のように包み込んでくれる人であった。怒ったり非難したり馬鹿にしたり、そういうことが全く無かった。私は、多分、父からすれば勝手なことをしたこともあると思うけれど、一度も叱られたことが無かった。黙って見守るというのが父の態度であったし、私が高校生の時に文芸部の友だちに頼まれて散文を書いた時は、「なかなか、いいね」と褒めてくれた。
書くことが好きなのは父親の血を受け継いでいるのかもしれないが、父親を乗り越えることを目標に生きてきたのに、結局どうだったのだろう。そんなことを言うとまだ決まったわけではないと娘たちに叱られそうだ。