今日は参議院議員選挙が公示された日なのだが、実はこの選挙にはそれほど強い関心が無かった。それというのも、今日は朝から井戸掘りで、どこまで掘ったら水が出るのだろうということにばかり関心がいっていた。お年寄り仲間で井戸掘りをしているから、当然のように政治の話が出る。そう、お年寄りは政治の話が好きなのだ。肉体労働だから、そういう馬鹿話でもやりながら、ツルハシやスコップを動かさないと滅入ってしまうのだ。
その中身については選挙期間中でもあるので、触れることは出来ない。肉体労働で疲れ果てたこんな日は思わずプッと噴出すような馬鹿話や女性の話が一番いいのだが、あいにくなことにそんな話題の持ち合わせがない。私の中学時代からの友だちも17歳年下の女性のことを最近は何も書いていない。真面目な彼は、小説家の重松清の作品に感動している。彼がチラッと書いていた女流作家たちによる『最後の恋』の作品に触れることもない。
『最後の恋』とは、つまり自分史上の最高の恋とサブタイトルとあった。そういう意味で最高の恋を探してみるけれども、女流作家の皆さんは言葉巧みに(作家だから当然なのだろうけれど)、最高の恋を描いていく。しかしなあと私は不満だ。物語としては納得できるけれど、中学時代からの友だちが書いていた17歳年下の女性との「付き合い」の方が、現実味があり「人を愛するとはどういうことか」にも触れていた。作られたものの面白さはあっても、だからどうなのだという突込みが足りないように感じた。
江國香織の作品『真昼なのに昏い部屋』を読んだ時は、イプセンの『人形の家』を思い出した。普通の日常に重きを置いて暮らしてきた主婦がたまたま出会った外国人(私はこの設定がイヤだけれど、逆に物語性を強調している)と街を見て歩くうちに新しいことを発見していく。その先に、ドキドキするような感覚とこれを否定する(それは日常なのだろうけれど)ものとの衝突が生まれ、「私は別の世界へ出たのだ」と意識する。この作品には「生きていることはどういうことなのか」と考えさせられるものがある。
男性の小説家よりも女性の小説家の方がいいものを書いているのではないかと、私は勝手に想像したがどうなのだろう。今日の夕方、それも午後7時15分は過ぎていたと思うけれど、西の空がとてもきれいだった。「見てみて」と言うカミさんに、「ケイタイで写真を撮ってブログに載せようかな」と言ったら、嫌な顔をされたので諦めた。しばらくして「同じ金額内だからやってみたら」と言うので、撮ったけれど、もうその時はかなり景色が変わってしまった。
ほんの10分も経たないのに、見える景色は変わってしまう。永遠に続くものはないだろう。「恋」もまた永遠には続かない。どんなに熱烈な恋愛で結ばれた夫婦であっても、永遠な愛の形は存続しない。そこに小説家の腕の振るいどころがあると思う。政治もまた絶対的な制度はないだろう。人々は失敗の上に新しい未来を築こうとするが、現実に流されていくなら、理想は永遠に先のものとなるだろう。
その中身については選挙期間中でもあるので、触れることは出来ない。肉体労働で疲れ果てたこんな日は思わずプッと噴出すような馬鹿話や女性の話が一番いいのだが、あいにくなことにそんな話題の持ち合わせがない。私の中学時代からの友だちも17歳年下の女性のことを最近は何も書いていない。真面目な彼は、小説家の重松清の作品に感動している。彼がチラッと書いていた女流作家たちによる『最後の恋』の作品に触れることもない。
『最後の恋』とは、つまり自分史上の最高の恋とサブタイトルとあった。そういう意味で最高の恋を探してみるけれども、女流作家の皆さんは言葉巧みに(作家だから当然なのだろうけれど)、最高の恋を描いていく。しかしなあと私は不満だ。物語としては納得できるけれど、中学時代からの友だちが書いていた17歳年下の女性との「付き合い」の方が、現実味があり「人を愛するとはどういうことか」にも触れていた。作られたものの面白さはあっても、だからどうなのだという突込みが足りないように感じた。
江國香織の作品『真昼なのに昏い部屋』を読んだ時は、イプセンの『人形の家』を思い出した。普通の日常に重きを置いて暮らしてきた主婦がたまたま出会った外国人(私はこの設定がイヤだけれど、逆に物語性を強調している)と街を見て歩くうちに新しいことを発見していく。その先に、ドキドキするような感覚とこれを否定する(それは日常なのだろうけれど)ものとの衝突が生まれ、「私は別の世界へ出たのだ」と意識する。この作品には「生きていることはどういうことなのか」と考えさせられるものがある。
男性の小説家よりも女性の小説家の方がいいものを書いているのではないかと、私は勝手に想像したがどうなのだろう。今日の夕方、それも午後7時15分は過ぎていたと思うけれど、西の空がとてもきれいだった。「見てみて」と言うカミさんに、「ケイタイで写真を撮ってブログに載せようかな」と言ったら、嫌な顔をされたので諦めた。しばらくして「同じ金額内だからやってみたら」と言うので、撮ったけれど、もうその時はかなり景色が変わってしまった。
ほんの10分も経たないのに、見える景色は変わってしまう。永遠に続くものはないだろう。「恋」もまた永遠には続かない。どんなに熱烈な恋愛で結ばれた夫婦であっても、永遠な愛の形は存続しない。そこに小説家の腕の振るいどころがあると思う。政治もまた絶対的な制度はないだろう。人々は失敗の上に新しい未来を築こうとするが、現実に流されていくなら、理想は永遠に先のものとなるだろう。