友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「振動・波動・衝撃のお話」

2010年06月26日 21時26分17秒 | Weblog
 今日は大和塾の『第17回市民講座』。もう30年近い付き合いの、大学で教えている友人に講演をお願いした。届いたテーマが「振動・波動・衝撃のお話」であったから、はたして聞きに来てくれる市民がいるのだろうかと不安であった。けれども、「興味がある」とか「面白そうですね」という声を聞くと、まんざらでもないのかも知れないと思えるようになった。実際、今日は満員で補助イスを何度も用意しなければならないほど盛況だった。それも、これまではどちらか言えば女の人が多かったのに、今回は男の人が多かった。

 男性は分からないことや不思議に思うことに対して、知りたいという気持ちが女性よりも強いのかもしれない。しかも、講演の後の質問時間ではこれまでに見られないほどの多くの質問が上がった。私自身は、やはり高校生の時と同じで物理がわからない。振動とか波動が存在することは理解できるし、その振動や波動をどのように定義付けるかについて異論はない。なるほど、そうように区別されるのかと思うけれど、結論から言えば、それでどうした?としか思えない。

 振動や波動あるいは衝撃の世界を説明してもらい、なるほどと思ったのに、その次が分からないのだ。私たちの住んでいるこの世界を振動や波動で説明してもらい、たとえば心の動きも数値で表すことができるようになるとすれば、それは興味ある世界だけれど、じゃあもうウソはつけないし、心を読み取れるから駆け引きも必要なく、味気のない世界になってしまうのではないかと寂しくなる。

 真実しかなければ、凄くシンプルでいいように思うけれど、「好きだよ」がただの「やりたい」では、それを真実と片付けるのもおかしいような気がする。「好きだよ」の中には「やりたい」という気持ちが全くないわけではないけれど、別に手をつなぐだけでもいいし、場合によっては手をつながなくても、一緒にいるだけで満足ということだってある。物理の世界では何でも数値に置き換え、これを数式で表すことができるようだ。それは大きな発見であり、物事を客観化して見るクセをつける意味ではすばらしいことかもしれない。

 小学校のクラス会の時に撮った写真を友人が送ってきてくれた。「オマケも付けてあります。お楽しみに?」とメールにあったけれど、いったいなんだろう?と思っていた。ところが届いた封書を空けて、なるほどと納得した。面白いことが好きな子(?)だったけれど、『パロディ版写真集』を読んで思わず笑ってしまった。私の挨拶は「ブラウスの胸のふくらみに胸を躍らせました。中身を見てないのが心残りですが、今見ることには躊躇します」とあり、その憧れの先生は「マーそのような、本当のことをおっしゃって、実は見せブラだったのヨー」とある。

 こんな楽しいことが随所にちりばめられていて衝撃的だ。振動や波動の働きで、私の思いも伝わるだろう。しかしそれは真実の思いなのか、不安に思った。
コメント
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