菅直人新内閣が発足し、わずかに所信表明とそれに対する代表質問が行なわれただけで、通常国会は昨日、閉会となった。民主党と自民党の攻守の立場が入れ替わったけれど、全くやり方は同じだ。民主党にはどんなに時間を割いても徹底的に討論する姿勢を見せて欲しかったが、これまでの自民党と同じ手口で、ダンマリを決め込み、数の力で閉会してしまった。馬鹿馬鹿しいというか、情けないというか、憤懣やるかたない。
今日は真夏日となり、頭も身体もボーとしている。しかし花たち、紫陽花もバラも元気だ。ランタナも今年の花は小ぶりだけれど咲き出した。今朝、6時に目覚ましがなったので、起きようと思ったのにそのまま眠ってしまった。このところ一度も夢など見たことがなかったのに、次に目が覚めた6時10分までの間に、夢を見た。それもヘンな夢だった。
中学では一度も同じクラスになったことがなかったけれど、一緒に学校へ通っていた友だちにばったり出会った。それも東北かどこか田舎の大きな温泉宿だった。彼はそこで大工をしていた。「あれ、じゃーないの?」と名前を呼んだと思ったけれど、名前などはなかったのかもしれない。お互いに50年ぶりの再会を喜んだ。その時、彼は「すまないねぇー」と言う。「大学を卒業した中で、オレが一番土地持ちになっちゃった」と謝る。聞けば、あの山もその隣の山もあの土地もみんな彼のものだと言う。「いいじゃないの、人生はいろいろあって」と、私はそんなことは気にするなと慰める。
いったいあれは誰だったのか。先日のクラス会で、一緒に学校へ通っていた友だちが今は不動産屋をやっていると聞いたけれど、だから彼が出てきたのだろうか。それにしても、お金持ちになったのに、「すまないねぇー」となぜ謝ったのだろう。一緒に通っていた彼とそんなに議論はしなかったけれど、同じ中学からの友だちとは、高校生になってあるいは高校を卒業して、よく人生論などを戦わせた。それは若い時によくある青臭い論議であったが、そんな中で、人生の喜びは物質にあるのではなく心にある、というようなことを話していたから、お金持ちになったことを恥じたのかもしれない。逆に、お金持ちになれなかったことに対する自嘲なのか。
菅直人首相は団塊世代である。言ってみれば、全共闘世代だ。大学生のみんながみんな、全共闘に加わって警官隊とぶつかっていたわけではないけれど、それでも体制や既成のものに対するアンチの雰囲気はあった。積極的に反体制にかかわらなかったとしても、心情的に共有するものがあったはずだ。菅さんは学生運動ではなく、ベ平連の運動でもなく、市川房枝さんの運動に参加したのはどういう理由なのだろう。そして菅さんは年を重ねる毎にどんどん現実主義者へと変貌していった。
今日は真夏日となり、頭も身体もボーとしている。しかし花たち、紫陽花もバラも元気だ。ランタナも今年の花は小ぶりだけれど咲き出した。今朝、6時に目覚ましがなったので、起きようと思ったのにそのまま眠ってしまった。このところ一度も夢など見たことがなかったのに、次に目が覚めた6時10分までの間に、夢を見た。それもヘンな夢だった。
中学では一度も同じクラスになったことがなかったけれど、一緒に学校へ通っていた友だちにばったり出会った。それも東北かどこか田舎の大きな温泉宿だった。彼はそこで大工をしていた。「あれ、じゃーないの?」と名前を呼んだと思ったけれど、名前などはなかったのかもしれない。お互いに50年ぶりの再会を喜んだ。その時、彼は「すまないねぇー」と言う。「大学を卒業した中で、オレが一番土地持ちになっちゃった」と謝る。聞けば、あの山もその隣の山もあの土地もみんな彼のものだと言う。「いいじゃないの、人生はいろいろあって」と、私はそんなことは気にするなと慰める。
いったいあれは誰だったのか。先日のクラス会で、一緒に学校へ通っていた友だちが今は不動産屋をやっていると聞いたけれど、だから彼が出てきたのだろうか。それにしても、お金持ちになったのに、「すまないねぇー」となぜ謝ったのだろう。一緒に通っていた彼とそんなに議論はしなかったけれど、同じ中学からの友だちとは、高校生になってあるいは高校を卒業して、よく人生論などを戦わせた。それは若い時によくある青臭い論議であったが、そんな中で、人生の喜びは物質にあるのではなく心にある、というようなことを話していたから、お金持ちになったことを恥じたのかもしれない。逆に、お金持ちになれなかったことに対する自嘲なのか。
菅直人首相は団塊世代である。言ってみれば、全共闘世代だ。大学生のみんながみんな、全共闘に加わって警官隊とぶつかっていたわけではないけれど、それでも体制や既成のものに対するアンチの雰囲気はあった。積極的に反体制にかかわらなかったとしても、心情的に共有するものがあったはずだ。菅さんは学生運動ではなく、ベ平連の運動でもなく、市川房枝さんの運動に参加したのはどういう理由なのだろう。そして菅さんは年を重ねる毎にどんどん現実主義者へと変貌していった。