我が家の庭の鉢植えのデイゴがたくさんの花をつけてきた。沖縄の県の花になっているデイゴとも、鹿児島県の花になっているデイゴとも違うようだ。沖縄のデイゴと鹿児島のデイゴはもっと花が密集している。インターネットで見ると、鹿児島のデイゴはアメリカデイゴ(カイコウズ)というものらしい。我が家のものはサンゴシトウ(珊瑚紫豆)という種類のもののようだ。同じデイゴでも花の形や咲き方に違いがあるが、花が開かないという特徴は同じと思ってもよい(?)のかもしれない。
台湾へ旅行した時、台中や高雄で、美しいというか見事というか、大きな緑の樹木に赤い鳥が止まっているような鳳凰木という木を見た。赤い花ばかりか黄色もオレンジ色もあるそうだが、南国特有の色合いに心惹かれて、チャンスがあればその見事さをぜひ写真に撮っておこうと構えていた。ところが台湾の西側から東側へ移ると、とんと見当たらない。場所によって違うのか、そもそも人の手で公園や道路などに植えられたものだったのか、私の探し方が不十分だったのか、東側でも台北でも見つけることができなかった。
沖縄にはデイゴを唄った歌がある。歌謡曲にも歌われたことがあったような気がする。赤い花は血のようにも見えるし、炎のようにも見える。美しいというよりも妖艶な雰囲気がある。そこで、今日の短歌はデイゴを詠ってみた。
わが庭のデイゴは花の開かぬを空に向かひて広がりおる
赤々とデイゴの花は燃えるがに僅かな時を楽しむごとし
めらめらと燃えるごとくに咲くデイゴもっともっとと恋するやうに
笹百合や桔梗のように、野山の草むらの中でひっそりと咲く花は美しい。あるいは以前ならどこでも見られたドクダミやムラサキツユクサも清楚な輝きがある。それに比べて南国の花は大きく存在を誇示しているようだ。派手な色合いや形は、幼くもあり可愛らしくもある。どういう花を愛するかはその人の好みであるけれど、同時にその時の年齢や心情によっても異なるような気がする。若い時なら勢いがあり大きく輝いているような花を好むかもしれないし、老いてくれば小さくても優しく微笑むような花を好むかもしれない。その逆もまたあり得るだろう。
短歌がどのような題材を好むものなのか、私は知らずに短歌教室に通ったけれど、自然や心模様を淡々と詠ったものが多いようだ。私が短歌に興味を持ったのは、俵万智さんの『サラダ記念日』だった。「あんなものは歌ではない」と言う人もいるけれど、私には石川啄木の歌と同等に感動的だった。こんな風に日常の出来事を普通の言葉で表現してもよいのだと思い、それなら自分も作ってみようという気になった。たまたま通った短歌教室は文語体での表現が基調だったので戸惑ったけれど、短歌とはどういうものかを教えていただいた。
先輩女史にお礼を述べ、今日で教室を退室することにした。
一年余通い来したる教室に感謝を込めて別れ行くなり
台湾へ旅行した時、台中や高雄で、美しいというか見事というか、大きな緑の樹木に赤い鳥が止まっているような鳳凰木という木を見た。赤い花ばかりか黄色もオレンジ色もあるそうだが、南国特有の色合いに心惹かれて、チャンスがあればその見事さをぜひ写真に撮っておこうと構えていた。ところが台湾の西側から東側へ移ると、とんと見当たらない。場所によって違うのか、そもそも人の手で公園や道路などに植えられたものだったのか、私の探し方が不十分だったのか、東側でも台北でも見つけることができなかった。
沖縄にはデイゴを唄った歌がある。歌謡曲にも歌われたことがあったような気がする。赤い花は血のようにも見えるし、炎のようにも見える。美しいというよりも妖艶な雰囲気がある。そこで、今日の短歌はデイゴを詠ってみた。
わが庭のデイゴは花の開かぬを空に向かひて広がりおる
赤々とデイゴの花は燃えるがに僅かな時を楽しむごとし
めらめらと燃えるごとくに咲くデイゴもっともっとと恋するやうに
笹百合や桔梗のように、野山の草むらの中でひっそりと咲く花は美しい。あるいは以前ならどこでも見られたドクダミやムラサキツユクサも清楚な輝きがある。それに比べて南国の花は大きく存在を誇示しているようだ。派手な色合いや形は、幼くもあり可愛らしくもある。どういう花を愛するかはその人の好みであるけれど、同時にその時の年齢や心情によっても異なるような気がする。若い時なら勢いがあり大きく輝いているような花を好むかもしれないし、老いてくれば小さくても優しく微笑むような花を好むかもしれない。その逆もまたあり得るだろう。
短歌がどのような題材を好むものなのか、私は知らずに短歌教室に通ったけれど、自然や心模様を淡々と詠ったものが多いようだ。私が短歌に興味を持ったのは、俵万智さんの『サラダ記念日』だった。「あんなものは歌ではない」と言う人もいるけれど、私には石川啄木の歌と同等に感動的だった。こんな風に日常の出来事を普通の言葉で表現してもよいのだと思い、それなら自分も作ってみようという気になった。たまたま通った短歌教室は文語体での表現が基調だったので戸惑ったけれど、短歌とはどういうものかを教えていただいた。
先輩女史にお礼を述べ、今日で教室を退室することにした。
一年余通い来したる教室に感謝を込めて別れ行くなり