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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地獄で結構!

2010年06月14日 21時02分01秒 | Weblog
 青い紫陽花をいただいた。土曜日の夕方、手押しポンプの完成を祝って、依頼主である友だちがパーティを開いてくれた。紫陽花の送り主である。「ポンプの完成した庭で行ないたいけれど、蚊が多いから部屋の中でやりましょう」と言う。大きな丸テーブルに私たち6人と依頼主の夫婦が座り、ビールでの乾杯から始まった。テーブルの上にはローストビーフや小アジをフライにした酢漬けや肉ジャガや野菜サラダなど10種目はあろう食材が並んでいる。

 友だちの奥さんはパーティ好きだけれど、桐嶋洋子の『賢い女は料理がうまい』の手本ような女性だ。料理も手際よいだけでなく、実に美味いし、バラエティーに富んでいる。最後に夫婦の故郷のもてなし料理という散らし寿司が出たけれど、これも実に美味しかった。料理の数の多さにもビックリしたけれど、出てくるお酒の種類にもビックリした。彼女がこれは美味いと言う日本酒を次から次へと出してくる。そこで、日本酒談義が大いに盛り上がる。本当の日本酒の美味しさは何かと議論伯仲する。

 酒の席にもかかわらず、何と博識に富んだ蘊蓄が飛び交ったことか。話はさらに盛り上がり、8月に蓼科にある夫婦の別荘に集まって、それぞれが美味しいと思うお酒を持ち寄り、飲み比べてみようということになった。さらに九州熊本の出身者が「馬刺しは熊本が一番」と言えば、「馬刺しの本場は信州でしょう」と言う者もいて、馬刺し比べも行なうことになった。なんだかんだと言いながら、飲むことと食べることに関心が集まる。それでも今日のやり取りの中で私が最も興味を持った話題は次のものだった。

 井戸掘りがとてもきつかった話から「地獄の苦しみだ」とか、「早く天国にでも行った方がいい」とか、そんな冗談が飛び交っていた時、ある人が「天国だ地獄だと言っとるけど、地獄がどこにあるのか知っとるか」と言い出した。「そんなものは誰も見た者はいないのだから誰も知らんさ」と誰かが言う。「あのな、地獄はここだ。ここが地獄だ」と出題者は言う。彼は仏教については詳しい人だ。その時、私は全てがわかったように思った。この世こそが地獄ならば、地獄は天国だ。この世は確かに苦しみや悲しみに溢れているけれど、同時に希望や歓びに溢れている。ここを天国と言わなければどこにあるというのだろう。

 キリスト教でも「最後の審判」が下り、人は天国と地獄に分けられるという。仏教もまた、人は天国と地獄に分けられる。地獄の怖さを強調すれば誰もが天国へ憧れる。この世が地獄だと言うのであれば、天国へ憧れることはない。地獄で結構、地獄もなかなかいいものだとひねくれ者の私は考える。飲むほどにますます饒舌となる仲間たちとこれほど面白おかしく、心地よい議論ができる、ここが地獄ならこんな素敵な地獄はない。地獄で結構!そう言いたくなる。
コメント
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