友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

色の白い楚々とした人

2011年04月28日 22時05分57秒 | Weblog
 今日も妙な天気だった。日差しは強くなっているけれど、風も時々強く吹き、時には雨が降ってきたのかと思うようにパラッと来るものがあったり、どこか落ち着かない天気だった。ツツジとフジの季節になってきた。この辺りでは津島の天王川公園と江南の曼陀羅寺が有名だが、連休には大勢の人でにぎわうことだろう。曼陀羅寺は歴史のある寺で、本堂は御所の紫宸殿を模して造られている。檜皮葺の屋根はとても美しいし、本尊の釈迦如来像は写実的で法衣の表し方から平安末期か鎌倉時代のもののような気がする。教員の時に、あまりにも美しい仏像なので調べてみたいと思ったが、研究論文に一度だけさらっと触れただけで終わってしまった。

 フジは子どもの頃から縁があった。小さい頃に住んでいた家の南には城跡があり、城跡は公園になっていたけれど、その一角にはフジ棚があった。私が小学校2年になる時に、我が家は実家である材木屋に引っ越したが、近所に風呂屋があって、入り口にはフジ棚があった。高校は昔からのバンカラが売りで、校舎の間にはいろんな樹木が植えられていた。校庭の周りはクチナシの生垣があり、また楠木が何本もあった。新聞部だった私は校内の樹木を数え、学校にはもっと木を植えるべきだ、図書館の南にフジ棚を作り憩いの場としようと提案した。

 フジはその色の美しさで日本人の心を捉えたのだろう。清楚な色なのにどうしてあんなにも芳醇な匂いを放っているのだろうか。一見楚々とした風情から妙に色っぽい大人の女の匂いがする、そんなアンバランスがフジにはあるような気がする。ユリとかサクラとかもっと素朴なツユクサなど、日本の花には清い瑞々しさと妖艶な大人の香りが同居しているように思う。それは日本の女性全般に言えることなのかも知れないし、本当は私が知っている女性たちのイメージなのかも知れない。

 そこで男はどうなのだろうと考えてみるけれど、ピッタリしたイメージが湧いてこない。子どもの頃からよく知っている男となると、中学・高校時代からの友だちが思い浮かぶけれど、ひとつの型では定義できない。それぞれがそれぞれに生きているし、またそれぞれが重荷を背負っているようにも思う。どうでもいいことなのだろうけれど、それをどうでもいいさと割り切れなくて生きてきてしまっている。女だって自分の人生を考えるわよと叱られそうだけれど、女の人がどんな風に悩んだり悶えたりしているのか、男の私にはよくわからない。それが男同士だと、何となく理解できるような気になってしまう。

 フジを女の人と思ってきたけれど、そう言えば、フジは男だろうと言う声が聞こえそうだが、そんなことはないのだろうか。天皇と姻戚関係を保って権力の座を維持した藤原氏はなぜフジワラという姓だったのだろう。フジは繁殖力が強いということにもつながっているのだろうか。フジ色が似合う女性はどんな人だろう。色の白い楚々とした人なのだろうか。
コメント
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