友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ウイリアム王子とケイトさんの結婚式

2011年04月29日 20時47分35秒 | Weblog
 イギリスのウィリアム王子の結婚式がテレビで生中継されていた。日本人と西洋人では儀式の受け止め方が随分違う。式場では誰ひとり身動きもせずに見守っている日本と違って、子どもたちがドタバタではないけれどジッとしていなかったり、大人たちも隣りの人と談笑していたり、なぜか緊張感に欠けた雰囲気である。司祭の前のウィリアム王子とケイトさんも微笑み合ったり私語を交わしたりと、リラックスした様子だった。誓いの言葉や賛美歌はどこも同じで、王室の結婚式だから特別ということはないようだ。

 沿道にはたくさんの人々がふたりを見ようと詰め掛けていた。王室はイギリス国民から敬愛されていると思った。もちろんそういう国民が圧倒的に多いのだろうけれど、中にはこの結婚式で誰が一番先に泣くかという賭けをしている国民もいると言う。それもまた、一応ではあるが結婚式に感心があるのだけれど、イギリスも連休とかで、結婚式に関心のない人たちのための旅行プランが売りに出されていると言う。王室に誰でもが敬意を払っているわけではないようだ。

 それにしても、日本の皇太子ご夫妻の姿が見えなかったけれど、まさか招待されていないことはないだろう。震災のために出席を見送られたのだろうか。どうして報道されないのだろう。天皇皇后両陛下が被災地を訪れた報道などを見ると、やはり日本は皇室国家だなと実感する。もし、何らかの事情があって、皇位を継承したくないとか、あるいは民間人になりたいと願っても、実際そんな個人の希望などを受け入れてもらえないだろう。ひとりの人間としては生きていけない存在に同情の気持ちが湧いた。

 結婚式では誰もが、「健康な時も病気の時も互いを労わり合い」と誓うのに、いつの間にか不満ばかりを抱くようになるのはどうしてなのだろう。結婚は与えるものであったのに、いつの間にか与えられないことへの不満となるのはどうしてなのだろう。築くというのは互いの供与と譲歩で成り立つものだけれど、人の気持ちというのは疲弊し迷っていくものらしい。求めることが強ければ強いほど、その反動も大きいようだ。なるようになると言うと無責任に聞こえるが、なるようにしかならない、そう思えば人生は楽しいし、そうならばなるようにやってみようという積極性も生まれてくる。

 今日はマンションの自治会の総会だった。自治会長がマンションは高齢化が進んでいると話していたが、聞いていた側は高齢者が多い。だから「そんな当たり前のことを言わんといて欲しいわ」と呟いていた。結婚して子どもたちが生まれ、少し広いところへ移ろうとこのマンションにやって来た人たちだから、30代後半の人なら70歳台になっているし、私たちのように30歳を越したばかりの人たちも60代の半ばになっている。夫をあるいは妻を亡くした男女が別姓のまま一緒に暮らしているケースもある。ウィリアム王子とケイトさんのこれからに幸多きことを祈りたい。
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