友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

産みの苦しみにあるのだろう

2011年04月25日 18時39分52秒 | Weblog
 選挙の結果は厳しかった。私が選挙の手伝いをした候補者は落選した。そういう予感はあった。最下位でもいいから当選して欲しいと願ったが難しかった。投票率が40%台しかなかったし、何よりも準備不足であった。根回しが足りないということではなく、候補者が何を考えどうしたいのか、それを知らせることが出来ていなかった。本人はこれまで、何回もチラシを配ってきたと思っているけれど、私にはそのチラシは紙屑のようにしか思えなかった。「長い文章は読んでもらえないから」という理由で、見出しを並べたような簡潔なものであったが、果たしてそれで納得してもらえるだろうかと不安だった。

 「チラシは有権者への手紙ですから、ラブレターを書くように情熱を込めて」と話したが、同意してはもらえなかった。見出しだけの簡潔なチラシ、そのチラシと立候補者とを結びつけることが出来なかったのではないだろうか。ラブレターのような濃密なチラシは1回配ったけれど、後が続かなかった。私もそうであったけれど、こんなに大事な問題をこんなにキチンと提起しているのだから、有権者は必ず理解してくれると思い込むところがあった。しかし、現実の有権者は大半が無関心であり、投票を行う多くの人は選挙公報を見たり演説を聞く前に、投票する相手を決めている。

 その中に私たちの主張を理解してくれている有権者もいるけれど、その数はわずかでしかない。こうしたわずかな理解者を増やしていくためには、かなり前から候補者の思いや政策を伝えていかなければならない。選挙期間はその最後の時間であって、その前に大方の人が投票相手を決めている。だから「日頃の活動が大切だ」と言うのは当然である。いつもキチンと街頭演説をしているとか、チラシを配っているとかを、その中身とともに有権者は見ている。1ヶ月や2ヶ月前からチラシを配りだしても、有権者の気持ちにまでは届かないのだ。

 首長選挙はもっと難しい。私たち『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』では、1千票や2千票の得票のノウハウは獲得してきた。それは議員選挙では有効に発揮したけれど、1対1や1対2とか3という首長選挙ではまだ勝てていない。充分に準備をし、満を持して挑むけれど勝つことは難しい。特に今回は、地震災害の影響は大きく、どこの選挙でも現状維持が目立った。政権交代の時ならば、全体の雰囲気が「変えよう」になっていたけれど、民主党政権の不甲斐無さが大きく作用して保守的になっている。どんなに地道にそして真面目に、政策を訴えても有権者は聞いてくれない。

 議員選挙で得た感触で、たくさんの人が応援してくれていると思ってしまったけれど、それは議員ならばの手応えに過ぎなかった。実際はその3倍から5倍という手応えでなければ当選の域に達しないのだ。しかし、いつかそれを実現することだろう。既成の政治は行き詰っているし、それに変わる新しい政治が求められていることは確かなのだから。世界はその流れをどこからどう生み出していくのか、私たちはその産みの苦しみにあるのだろう。
コメント
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