夏の朝は気持ちがいい。草花に水を遣り、しばらく眺めている。今年はサルビアの生長が悪く、代わりに日日草を植えたけれど、今を盛りに咲いている。屋上の工事のために、ルーフバルコニーの半分しか使えない。ビアパーティを行なうまでには完成するのかと心配になる。今日は曇り空で、しかも風があるので爽やかに感じられる。
午後、無党派市民派で市議になった人から電話があって出かけた。議会の様子や問題などを聞くけれど、だからと言って私に解決できることはひとつもない。先日も一緒に勉強会をやっていた仲間から、電話をもらったけれど、私の意見は言えてもだからそれで解決できるようなことは何もない。
私に出来る最大のことは、聞いてあげることだと思っている。誰でもみんな、楽しいことばかりではない。話したところで結局は自分で解決して行かなければならないことばかりだ。無党派市民派の地方議員が集まって勉強会を行ってきた時も、自分が抱えている問題は自分でしか解決は出来ない。けれど、自分が考えていることや自分の理解の仕方を第三者の目で見てもらうことは出来る。
勉強会だからイヤになれば辞めればいい。絶対に正しいことはないし、仲間の提案も解決方法のひとつに過ぎない。ひとりで悩んだり考えたりしていても堂々巡りだけれど、第三者の視点が加わることで、ヒントが浮かぶこともある。自分を検証する上で、仲間の意見は尊い。「ひとつの政治団体になるのはイヤだ」と言う人は多いだろう。私は政治団体というか、政党のような組織はなくなっていくのではないかと思っている。
今は緩やかなつながりで、課題ごとに集まって議論できる「場」が必要なのではないかと思っている。誰がリーダーでもなく、教えるとか教えられるという関係のない、ネットでよいのではないか。それではダメだということが生まれてくれば自ずと、ではどうするという方向が議論の中から生まれてくるだろう。こうでなければならないとか、こうであったからという発想から自らを解放してやらなくてはならないだろう。
イチローはヤンキースへの移籍で、長年着けてきた背番号51から31になった。私は20歳も若くなったのだからきっと何かやってくれるだろうと勝手に思っている。勝手なことだけれど、アホなほど楽観的であっていいと思っている。けれども現実は悲観的である。市議会でも議場に日の丸を掲げることが条例で決まった。世の中の全体の動きは、大阪の橋下市長に象徴される。けれど、それを体感としてイヤだと思う人もいる。どう流れが創り出されていくのか、私は見守るばかりである。