雨の中、友だち夫婦がアメリカに行くので、最寄の駅まで送っていった。アメリカには友だちのお姉さんとその家族がいて、お姉さんの娘さんらの家族が「ぜひ」と招いたようだ。7年前、この夫婦を含めた6家族11人で、彼のお姉さんを訪ね、お姉さんと一緒に西海岸を中心に15日間旅行したことがある。お姉さんは住んでいるカルフォルニア州の州都サクラメントから、わざわざサンフランシスコまで迎えに来てくれた。
サンフランシスコで2泊、サクラメントで2泊、レイク・タホで1泊、ヨセミテの近郊で1泊、モントレーで2泊、ラスベガスで2泊、グランドキャニオンで1泊、ロスアンゼルスで2泊という豪華な長旅だった。移動はガイド付きの小型バスが主だが、グランドキャニオンへは小型飛行機だった。一番長く付き合ってくれた運転手は日本人で、彼はマーケットに寄って好きなものを買い、適当な場所を探すとそこで昼食にする手はずを整えてくれた。それはアメリカ人流のピクニック気分だった。
彼は私たち1行を気に入ってくれて、ヨセミテ渓谷一帯を見渡せるグレーシャー・ポイントへ連れて行ってくれた。「ここにしばらく居ると人生観が変わる」という彼の説明は正しかった。渓谷からの距離は約1000メートル、谷底を見ると足がすくみ血の気が引いた。ここからはシェラネバダ山脈が遠く続くのがよく分かる。このスケールの大きな景色の中にいると人間の小ささを痛感するから、「人生観が変わる」という表現は適格だった。私にとってアメリカは2度目だったけれど、今回もアメリカは広すぎると心から思った。
グランドキャニオンもスケールの大きな景色を見せてくれたけれど、ガイドが言うように、ここに1週間居たならもっと大地の大きさ、自然の作り出す景色の見事さ、朝と夕方と夜の移ろい行く様を見たり感じたり出来ただろう。1泊は余りに素通りで物足りなかった。アメリカの大都会もそれはそれで面白い。サンフランシスコもロスアンゼルスもラスベガスも、街中を歩いてみるとショーウインドウの飾り付けやお店で売っている物や人々の服装や、読み取れないけれど溢れている会話や、いろんなものが興味深い。
街のつくり方、商店街、スパーマーケット、鉄道や農園、橋や公園、いろんなものが目についた。以前行ったシアトルでは物乞いの人がいてビックリしたけれど、ラスベガスのような歓楽街にもスパニッシュと思われる子どもが客引きのチラシを配っていた。アメリカ人は陽気で世話焼きだけれど、貧富の差は広がっている。昨年、ニューヨークやワシントンで99%の人々のデモが起きたけれど、都会はその差が顕著になっているようだ。
「和食が食べたい」と言い出す人がいてラスベガスで和食店に入ったけれど、私にはとても和食の修行をしてきた調理人の料理とは思えなかった。長い旅だったから後半になると疲れも出て、仲良しの足並みも乱れるようになった。そんなこともあったなと私はその時のメモを見ながら思い出していた。友だちのお姉さんは来年、私たちに会いに来てくれるそうだ。楽しみだ。