友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

NHK大河ドラマ『平清盛』

2012年07月09日 21時07分07秒 | Weblog

 昨夜は3歳になった孫の誕生日会のため、NHK大河ドラマ『平清盛』を観ることが出来なかった。このドラマの評判はよくないようだけれど、私は面白いと思って観ている。清盛が港を造った福原が兵庫県にあるためなのか、兵庫県知事が「画面がきたない」(?)というようなことを言ったと以前、新聞に書かれていた。画面がザラったとして埃っぽい感じになっているために、そんなことが言われているのだろう。江戸時代ではない、もっと古い時代を表したくて、わざわざそのような仕上げにしてあるのだろうが、それを目障りだと思う人はいるだろうけれど、私は気に入っている。

 私が気になるのは、清盛役の松山ケンイチさんのしゃべり方だ。中井貴一さんが扮した父親がいた頃、まだ身分も不安定な未成年であったから、怒鳴り上げるようなしゃべり方でもよかったけれど、今の清盛は平家の頭領で、しかも貴族に順ずる地位に上り詰めているのに、しゃべり方が一向に変わっていないのはおかしい気がする。風格というか、堂々としたところがないのが気になる。松山ケンイチさんを始めて見た映画は全共闘カブレの運動家の役だったけれど、なかなか個性派の俳優がいるのだと思った。インチキ革命家気取りの役は適していたが、清盛は貴族に使われていた身分の武士を支配者の側に押し上げた人物。今のところ、まだオーラが出ていない。

 玉木宏さんが扮する源義朝との決戦はこれからだから、徐々にということなのかも知れない。歴史の中で天皇がどんなに権力争いに利用されたかがよく分かるし、皇室が天皇の座を巡って醜い争いを繰り返してきたことも分かる。NHKは民主党が政権の座に着いたことと、清盛が貴族政治を壊して武士が権力を握ることと、どこかでダブらせているようだ。清盛はさかんに、「新しい世を造る」と言う。昨年の大河ドラマ『坂本竜馬』でも、「新しい世を造る」と坂本たちに言わせていたが、時代の変わり目にあることを国民に意識させたがっているのだろうか。

 『平清盛』では、信西が後白河上皇を押し立てて、それまでの権力者である藤原摂関家をつぶしてしまう。信西は元は下級貴族で、中国の学問に秀でていたので、後白河上皇に取り入れられた。信西の目指す政治は中国の仕組みで、身分に関係なく優秀な者が活躍できる場を設けようとするものだった。これではそれまでの貴族らが不満を持つのは当然で、信西排斥の動きが出てくる。清盛は信西に組するが、義朝が従う藤原摂関家の巻き返しによって信西は殺されてしまう。

 時代は常に、「新しい世」を求めているのかも知れない。「新しい」つもりであったものが、権力者が入れ替わっただけの「古い」ものであることはよくあることだ。『平清盛』を観ていると、今日の政治とよく似ていると思い、そんなことを考えながら観ているといっそう面白い。小沢一郎さんやそのグループ、自民党や公明党、そして権力の座にある民主党の執行部が、それぞれどのようにして生き残りを図ろうとするのか、ドラマと現実、どっちも面白くなって来た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする