友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

新しい発見もあったよ

2012年07月10日 21時30分30秒 | Weblog

 私は高校の教師になって、担任となったのは5回だが、クラス会を行なっている学年は少ない。まだまだ現役で、それどころではないのかも知れない。不思議なのは、私が新任の時の3年生で、私は担任ではないし、授業も休まれた先生の代わりに行く程度だった。そんなわずか1年の付き合いでしかなかったのに、仲間のように誘ってくれる。初めて担任となったのは翌年で、私が23歳の時の高校1年のクラスだった。卒業するまでの3年間、毎日会っていたわけだから、結びつきは濃いものがある。中には私が新任の時に入学したけれど、再び1年からやり直した子もいたから、そのつながりはいっそう深い。

 今朝、7月7日の七夕にクラス会を開いた、私が初めて担任となったクラスの女の子(とはいえもう彼女も今年は還暦を迎えるのだが)から、“抗議”のメールが届いた。「先生はどう感じてくださったのか、ブログで拝見したかった。が、スルーされちゃって超がっかり‥‥もう私たちは先生には興味の無い存在になっちゃった?」。この言い方も相変わらずだなと懐かしく思う。高校生の時の彼らは、大人ぶって見せていたけれど、それでもやっぱり高校生だったのに、今は同じ60代のジジババである。そう思うけれど、年齢差はまだ歴然としている。案内のハガキに「お互い、いい人生を歩んで来たと思います」とあったが、みんなそういう顔をしていた。

 メールをくれた子は、高校時代はロングスカートで、何も入らないペシャンコのカバンで、とても理屈っぽいところがあった。女の子が少ない学校だったから、余計に目に付く存在だったと思う。正義感が強い点では、教師になった女の子と同じで、教師になった子が理論立てて話し、一見不良そうに見える彼女が同調することが多かったように思う。大人ぽかったふたりに対して子どもぽかった女の子も何人かいたが、ひとりは難病を患いながらも出席していた。苦労が険しい顔付きに表われていて、何とかしてあげたいといつも思う。

 同級生で結婚したふたりは、今回も出席してくれた。彼女は男子生徒が憧れていた。明るくて可愛いくて、目のクリクリとした女の子だった。成績はいいのだが絵が下手で心配だった。それが、同じように入学した時は成績がよかったのに、いつの間にか低空飛行で、学校をバカにしたところのある男子と結婚した。「東京芸大や県芸大が、インターシップでお願いしますとオレに頼むんだよ」と言うように、彼は何人もの人を使う側にいる。会社経営での苦労は分かるし、そんな夫の気持ちも分かるから、彼女もまた背負い込んでいるものが大きいのだと思った。ふたりが結婚した詳しいいきさつは知らないが、お互いに乗り越えてきたものが大きくあったのだろう。そんなことも初めて感じたクラス会だった。

 私が授業料を立て替え、毎朝、迎えに行っていた子、遠足で私のカメラを失ってしまったが、「出世払いで返すから安心して」と大見得を切った子、大学へ進み学生運動にはまり、生協に勤めていると聞いた子、いろんな子どもたちがいたけれど、元気でやっているのならそれで十分だ。今度のクラス会に、また多くのクラスメイトが集まってくれることを願う。

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