友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

秋の寂しさが身に染みる

2013年11月01日 19時10分52秒 | Weblog

 初めに、私が昨日、予測した日本シリーズの結果は間違いであったことをお詫びしなければならない。昨夜は巨人が勝ち、第6戦で田中投手が投げて楽天が勝ち、3:3となって第7戦の大一番を迎えると予想していた。きっとそういうシナリオになるはずだと読んだ。ところが楽天が勝ったので、第6戦に田中投手が登場するとおそらく点は取れないから、4:2で楽天の優勝となってしまうだろう。どちらが勝ってもいいけれど、これまでの試合は両チームとも必死で戦っていて、見ている側としてはハラハラドキドキで面白い。

 予想が当たらなかったように、人を見る目が私には無いようだ。私は三男で、守るものを持たなかった。だからという訳ではないかも知れないが、物への執着が無いばかりか、自分の物と他人の物との区別意識に欠けるところがある。自分の物を他人が使っても何とも思わないし、よく他人に物を上げたくなる。他人を呼んで、ワイワイやるのも好きだ。一番いけないことは、他人も自分と同じと思い込むことだ。

 土地を持っている人がいて、その土地は別に使っていないようなので、一時的だからとの思いもあって荷物を置かせてもらった。いつも愛想がよくて、「何でも言って」と言ってくれる人だから、了解してくれるだろう。それが私の甘いところだ。無産の私は、有産の人が、土地への思いが重いことを理解できない。ほんの少しの場所、ちょっとの時間、借りるだけというのは私の勝手な考えだ。大事なものを大切に守り続けてきた有産の人々は、とてつもない苦労を重ねて今に至っているのに、無産の私は「ちょっとくらいのことで」と思ってしまう。

 他人のものも自分のものとは思っていないつもりでいたが、案外私の中にはそういう身勝手な意識があるのかも知れない。全てのものが神様のものなのだから、みんなで分かち合ってもいいはずだという思いが、みんなのものは私のものとすり替わっているのだろう。どうしようもない馬鹿だけれど、高齢になればなるほど自己改革は難しい。困ったものだ。自己嫌悪とともに無性に寂しさを感じる。

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