名演は文学座による『殿様と私』で、題名からも分かるように映画『王様と私』をもじっている。作者のマキノノゾミさんはニューヨークで映画を見て、英語を話せることがそんなにエライのかと思い、その時の仇討ちのつもりで物語を日本に置き換えて書き上げたとある。シリアスな作品が好きな私は、ただ滑稽なだけでいったい何が言いたいのかと思ってしまった。場面展開も演技も何度も笑わせてくれるセリフも面白く出来た作品であるけれど、心に響くものは何もなかった。
今日は、大和塾の市民講座『千年を生きる女―紫式部のメッセージを読み解く―』だった。講師は多治見市の「劇場版日本一受けたい文学講座」で人気の勝典子さん。恥ずかしいけれど、私は高校の時、古典が分からなくて嫌いだった。全然面白くなかった。文章がさっぱり読めないし、分かろうともしなかった。『源氏物語』の中身も知らずに、光源氏の恋愛遍歴を綴ったものと決め付けていた。
勝先生は、光源氏のように見初めた女を最後まで守る稀な人を描くことで救いを添えているが、身分を越えた恋愛は破綻するという物語だと言う。身分制度の厳しさ、そんな中で暮らす宮中の人々の人間性、その美しくそして哀れな姿を的確に描いている。だからこそ、近代小説を超えるメッセージ性があると解説する。情景の描写も人物の描写も写実的なリアリズム文学であると。
今朝の朝日新聞のbe版に、「あなたが生きたい時代は?」という特集記事があった。第1は遠い未来で、第2が高度経済成長期、続いて安定成長期だった。第7位に平安時代があり、多くの女性が光源氏との恋愛を熱望していた。しかし、平安時代は最も身分が細かく分かれていて、30階級あったという。しかも下の者が上にあがっていく機会はほとんどなかった。権力はそうすることで維持されてきた。恋愛などおそらく出来なかっただろう。
紫式部は中流貴族の出身、中流から上流を見たフィクションが『源氏物語』というわけである。紫式部のメッセージは華やかな貴族社会というよりも身分社会の厳しさを描いており、人の本質に迫っている。勝先生が「人の優れた点は柔軟性と想像力」と言われたが、置かれた環境や地位や文化で人は変わる。決め付けずに自分が思う道をいくしかないのだ。現在はいつもその結果でしかない。