友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中国で続く自爆テロ

2013年11月07日 18時09分32秒 | Weblog

 中国で先日、天安門広場で爆発が起きた。新疆ナンバーの車が広場中央へ突入して炎上、乗っていた3人が死亡した。乗っていたのがウイグル人夫婦とダンナの母親というので、公安はウイグル独立運動に関わる自爆テロという見方を発表している。続いて、6日の早朝には山西省の省都、太原の共産党委員会庁舎前で爆発事故が起きた。ボストンで使われた爆発装置に似ていると言われている。

 天安門の爆発はウイグル族のテロと断定した公安だが、太原の事件については詳しい発表がない。いずれにしても、圧倒的な力で抑え込まれている人々が堪え切れなくなって起こした事件だろう。力に差がありすぎて堂々と戦うことが困難な時、人はテロに走る。アメリカに立ち向かうことが出来ない人々は9・11のような事件を起こす。紛争地では圧倒的な軍事力を持つアメリカ軍に対して自爆テロが頻繁に起きている。

 とうとう中国でも自爆テロが起きてしまった。圧制に苦しむ人々はいつの時代もただ黙って従っている時間を越えると爆発する。ポツポツとあがる火の手はやがて全土に広がっていく。中国の歴史はその繰り返しではなかっただろうか。中国を旅行した時、あまりの人口の多さに驚いた。都市では日本や韓国と変わらないアメリカの店が建ち並んでいた。しかし、田舎に行くとまるで戦前を思わせる風景であった。

 私の井戸掘り仲間が言う。「豊かな国っていうのは、どこへ行っても安心して同じような生活が出来ることだ。しかし今、世界中が大都市へ、人が集中している。農村では食っていけないような社会は幸せな国とは言えない。大都会へ行けば何とかなると出てきた人で失業者が増え続けるような政策は政治の貧困だ」。日本人も戦後、大都市へと若者の集中が起きた。今も村では暮らせないからと都市へ出て行く。中国はもっとこの傾向が強いようだ。

 不満に耐えているうちはいい。けれど限界を越せば一気に爆発する。そうやって、人々は少しずつ「平等」を手に入れ、「博愛」の気持ちを大事にするのだろう。

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