友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

売上増・利益増からそこそこへ

2013年11月06日 18時34分36秒 | Weblog

 私が初めて就職したのは教員だったので、売り上げを意識することはなかった。入学してきた子どもたちが持っている能力を引き出して伸ばすことが最大の使命だった。進学や就職、どこへ行きたいのか何がしたいのか、できるだけ本人の希望がかなえられるように気を配った。子どもたちは3年間でかなりの技能を身につけ、人としても大きく成長していった。先日、40年ぶりのクラス会(正確には37年ぶり?)で会って、還暦間近な年齢なのだから当然のことだけれど、どの子もしっかりしているのに感動した。

 教員を辞めてからもいろんなところで働いたけれど、自分が経営者になるまでは売り上げを意識することはなかった。自分で地域新聞を創刊し、広告を集めて新聞を発行する。広告が集まらなくて、もうこれで終りかと思う時もあったけれど、どういう訳か最後に飛び込んだ店や会社で広告がいただけて、結局毎年売り上げは伸びた。私の新聞のモットーは普通の人に光を当てることだった。

 頑張っている人がいる。話を聞いて記事にする。この地域でこんなに頑張っている人がいることを多くの人に知らせたい。どんな人もそれぞれに輝いている。それを見つけ出す。そのためにはよく聞かなくてはならない。謙虚になって教えてもらわなくては聞き出せない。広告は新聞を支えるためだが、店や会社を知ってもらうためでもある。記事と同じように、“よさ”が伝わるようにと思って作った。

 だから、売り上げを伸ばすことは一番大事なことであったけれど、知らせたいという気持ちの方が強かったから、売り上げを意識することがなかった。新しい企画、たとえばボクシングの世界チャンピオンが生まれたのに町ではそれを祝うことがなかったので、代わりに祝賀会をしたり、芸術大学のある町なのに市民が大学内に入ることもなかったので、大学公開講座を行なったり、新聞とは違う冊子を発行したり、それらは私のまちづくりへの思いだった。

 有名ホテルや百貨店などいろんなところの「偽装」が明るみに出ている。企業でも表に出ていない「偽装」はあるだろう。売上増、利益増ばかりが追及されてきたのだから当然のことだ。売上至上主義・利益至上主義から、人のためになるならそこそこでいいという時代になって行くだろう。

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