友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

15歳の時から変わらないもの

2013年11月19日 22時37分56秒 | Weblog

 なかなか人間は変わらないものだ。私が15歳の時に書いた修学旅行記も、21歳の時に書いた詩も、ここに書いているブログの文も、基本的には変わらないように思う。もちろん、年取った分だけ語彙や技法は15歳の時とは違うと思うけれど、いやそれくらいの進歩がなければ生きてきた意味もない。

 「まだ、朝のすがすがしい臭いの残るプラットホームを僕達の汽車は音もなく滑るように動き出した。プラットホームには父兄の方々が、僕達が無事に帰って来ることを祈りながら見送ってくれていた。そこから僕達の修学旅行は始まった。汽車がプラットホームを離れる頃、僕達の心にはどこからか、肉親や郷土に対する愛着の気持ちが湧き起こり、力いっぱいプラットホームにいる人たちに手を振った。そして何か満たされない気持ちで自分達の席に座り、移り変わる窓の景色を深い溜息のうちに見入るのだった」(1959年5月22日 『青い実の紀行文』の出だし)。

 400字詰め原稿用紙で32枚あるが、紀行文でありながらそうでない部分も随所にある。「『予定時間よりも遅れているから早く乗れ』と先生方から言われていたのに、僕達の乗るバスに行ってみると、前の方に座る奴らが入り口のところでワイワイ言い合っているだけで、乗ろうとしないではないか。こんなことでは僕達のバスが一番遅れてしまう。残り少ない時間が余計になくなってはと、僕は『そんなところでワイワイ言っていたって始らない。さあー、さあー、座るところは分かっているんだから、乗れ乗れ』と言って乗った。(するとその子たちが)騒ぎ出したので説明しようと思ったが、こんな根性の者どもに言っても分かるはずもないと納まらない気持ちをぐっと我慢した。僕はよくこういう意見の人と言い合うことがある。僕の考えはいつも間違っているのか賛成者は少ない。自分としては悲しいことである」。

 どうもこの頃から一人合点なところがあるようだ。先日も、医者を生んだ家庭の話をカミさんとしていた時、「医者にするにはお金が必要なのよ」とカミさんが言うので、「いや、それだけの素質というか、学力がなければダメだろう」と私は言う。「素質があってもお金がなければなれないのよ」と蒸し返すので、「いや、まずは学力だろう」と言い返すことになった。カミさんは、学力は当然のことで、しかし注ぎこむお金がなければ医者になれないと言っているのだ。素直に「そうだね」と言えばいいのに、どうしても「でもね」と口に出てしまう。困ったものだ。

コメント
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