空は相変わらず薄い雲に覆われている。時々、真っ黒な雲が近づいて来ては大粒の雨を降らせていくが、わずかな時間で止んでしまう。私の心もすっきりとしない。本を読んでいて、左目を閉じると右目はぼんやりとかすんでいて文字が見えない。両眼を開いているのに、左目だけで文字を負っているせいか、すぐ疲れてしまう。見ることは一番の楽しみだったのに、このまま見えなくなってしまうのだろうか。
日韓でまたもめている。徴用工や慰安婦の問題は両国政府で解決済みとする日本政府と、韓国世論に押されて再考せよとする韓国政府。加害者は被害者に「もう、これは終わった」とは言えない。何度でも謝罪しなくてはならないし、賠償だってすべきだろう。立場が違えばやはり同じことをするだろうから、被害者の気持ちが収まるまで、誠実に対応するのが美徳というものだと思う。
子どもの頃観たアメリカ映画『アラモ砦』がどんなストーリーだったか忘れていたが、読んでいた本の中に「アラモ砦」のことが載っていた。劣勢のアメリカ人が圧倒的な軍備と10倍の兵隊のメキシコ軍と戦い全滅する。その後再び正規のアメリカ軍がメキシコ軍を壊滅し、テキサスはメキシコから独立する。そんな歴史を映画にしたもので、正義のアメリカ人が悪徳のメキシコ軍と最後まで勇敢に戦い抜く勧善懲悪調だった。
ところが実際は、メキシコ領にあったテキサス人の反乱だった。砦を包囲したメキシコ軍は攻撃する前に全面降伏を呼び掛けたが、血気にはやる指揮官はこれを拒否し、和平交渉は決裂し、総攻撃となったようだ。頼みの援軍が来ないと分かった時点で降伏していれば、多くの人の命が助かったはずだ。どこの国にも、自分の名誉ばかりを先行し、部下の命を軽んじる指揮官がいる。
「賢明な指揮官は、無意味な殺戮を避けるための非公式の合意に達するのが常だ」と言われているそうだ。トランプ大統領は「アラモ砦の戦い」を子どもの頃から知っているだろうから、口先で何を言っても、最後は「賢明な指揮官」として振る舞ってもらいたいものだ。それは世界中の指揮官にお願いしたいことでもある。