友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

おひねりが飛ぶ大衆演劇

2019年07月01日 18時07分29秒 | Weblog

 わが市には3つの市民劇団がある。1つは新劇の流れの本格的な劇団で、他の2つは素人演劇だが、そのうちの1つは結成されて30年近いと思う。残る1つは、昔、神社で行われていた村芝居を復活させようとちょっと前に創設された。昨日は30年近い歴史を重ねてきた劇団の演劇を観て来た。舞台背景や照明、音響など素人離れしていた。

 この劇団はまだ町の頃、役場の福祉関係を担当していた職員が自分で脚本を書き演出を手掛けて始まった。そのスタイルは今も変わっていない。当初は町長が悪役で出てきて、正義の刀で切られてしまうストーリーだったから、観客から大いに受けた。あくまでも大衆演劇にこだわり、勧善懲悪の人情時代劇に徹している。正義のヒーロー、流れ者の銀次郎が活躍し、「あっしにはかかわりねえことで」と幕が下りる。

 脚本を書いている彼は、名古屋にまだ残っていた大衆劇場に通い詰める芝居好きだったが、失礼だが私は、まさかこんなに長く続くとは思わなかった。私たちの子どもの頃は、映画館と劇場が一体していた。いわゆるドサ周りの芝居が見られた。時にはストリップまがいの芝居もあった。

 昨日の公演は『赤穂浪士の怨念か 亥の大変 銀次郎 庄内川に鬼火を見た』と長い題名で、平和と繁栄を極めていた元禄時代に起きた赤穂浪士の討ち入り事件、続く震災に幕府は改元で一新を図ろうとした。この辺りも東北大震災とひっかけて、上杉鷹山を持ち出し、「自助、共助、公助」を説くなど、笑わせるだけの演劇でないところを見せつける。

 観客席で観ている私は、「盛り込み過ぎ」に思えてならない。小さな子どもは飽き飽きして、隣の祖父とチャンバラをしていた。子どもの貧困や障がい者のこと、あるいは災害時に高齢者をどうするか、そんな様々な現代社会の問題を芝居に取り入れているが、取ってつけたようでうまく消化されていない。何だか食べすぎと言うより、あれもこれも食べよと勧められて、ゲップが出そうな芝居だった。

 終わって名古屋での決起集会に駆けつけた。知った顔はどれも年老いていた。もう私たちの時代ではないとはっきり分かった。誰とも会わず、一日中家に居る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする