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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私は夢に固執する

2019年07月02日 22時34分49秒 | Weblog

 今朝は早くから目が覚めた。外を見ると雨は止んでいた。私はルーフバルコニーへ出て、花たちの様子を見て回った。今年のサルビアは勢いが良くてたくさんの花を咲かせている。けれど、よく見るとあんなに雨が降ったのに、萎れかけて元気のないサルビアが何本かある。いったいどうしたのだろう。

 同じ店で一緒に買ったサルビアなのに、成長してくると微妙な違いが表れて来た。葉が丸くて緑が濃いものと、スリムで薄い緑のものとがある。薄い緑の葉の方が、花が咲き始めると葉が黄色くなり、元気を無くしていった。肥料不足なのか水不足なのかと思い、両方をたっぷりと与えた。

 貸農園で野菜を作っている先輩は、「素人はすぐ水をやりたがるが、水を与えれば根は伸びない。人間と一緒で、厳しい環境で育てないと甘い実をつけない」と教訓を語る。「甘えさせると成長をやめてしまう。元気な野菜を育てるのは、あまり水をやってはダメだ」と何度も繰り返す。

 ご本人はいいところのボンで、けっこう甘やかされて育ったはずなのに、他人に対してはいつも厳しいことを言う。人間は分からないが、植物は正直だ。元気を失ったサルビアは、花を切り取ってしまうと元気を取り戻すから、能力以上に花を咲かせたからだと思う。葉も同様で、葉が茂りすぎると陽の当らない葉から枯れていく。

 バラの葉は、まるで絵本『葉っぱのフレディ』にあるように、役割を終えた葉から黄色くなり落ちていく。それだけではない、新しい芽が伸びていく先にある葉も黄色くなっていく。植物が生存していくための仕組みとは言え、実によくできている。1本の草も木も、どこかを犠牲にしてでも生き残ろうとする。中には他のことなど構うものかというくらい自分に固執する葉もある。

 人間が植物や動物の頂点の存在なら、もっと賢くなっていいはずなのにと思うのは、ひとりの自分に固執する生き方なのかも知れない。中学・高校からの友だちのように、「これから先、私には老いらくの恋が待っていることはなさそうだ」と言い切ってしまうのはあまりにも寂しい。私は夢に固執する。

 夕方までに書き込みは終わっていたのに、アップしていなかったことに気が付きました。ごめんなさい。

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