友々素敵

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ハンセン病判決に政府控訴せず

2019年07月10日 18時19分12秒 | Weblog

 ハンセン病患者の隔離政策による家族への差別被害を認め、国に損害賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れ、安倍首相は「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆様のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」と控訴しないことを表明した。安倍首相の政策に賛同できないことの多い私だが、この判断は首相として正しいと思う。

 新聞もそうだが、世の中には「選挙目当てなのは明らか」とか、「選挙で敗北するといけないからの判断と勘ぐってしまう」と言う人が多い。選挙を意識しての判断であっても、間違った政策のために被害を受けた人々を救うことは当然で、一刻も早く救済策に取り組ませるのが世論の圧力だろう。

 作家の倉橋由美子さんの著書『大人のための残酷童話』に、「子供たちが豚殺しを真似した話」がある。父親が豚を殺すところを見ていた子どもたちが真似し、やがて子どもたちの間で豚殺しごっこが始まり、町中が大騒ぎになったという怖い話だ。その続きがさらに凄い展開になっている。

 市議会は豚殺し役の子の親を呼び出し、どんな育て方をしていたのかと詰問する。親は学校の教育が悪いせいだと言う。市長は校長を罷免する。校長は「子どもたちは大人を見習った。大人が豚を殺すからいけないのだ」と主張する。議会は議論の末、市長に責任があるとした。市長は国王に訴え、正しい裁きを求めた。国王は豚殺し役の子の喉を切り裂き、その子の親を縛り首にした。それ以来、豚や牛や羊を殺すことを止め、「肉食反対都市宣言」を発したが、何年も経つと肉食禁止に対して不満が強くなり、いつの間にかうやむやになってしまったという話である。

 国王のいる専制国家だから、国王の裁定にいくら納得できなくても、異議を唱える人はいない。我が市は「平和都市宣言」を行っているが、憲法第9条が変わっても誰も異議を挟むことなく受け入れてしまうのだろうか。政治はいつも責任を転嫁し、根本を正そうとせずに、目の前の現実に対応することを優先している。加害者は被害者の思いに応えているフリをしていないのだろうか。

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