友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

業態寿命30年

2014年10月14日 18時00分47秒 | Weblog

 台風一過、見事に青空となった。台風が到来する前よりも強い風が吹いている。風は一向に治まりそうにない。我が家では被害は何もなかった。長女のところも次女のところも「何事もなかったよ」と言う。長女の娘の頭の怪我はどうなのかと心配になる。次女の子どもは5ヶ月を過ぎ、うつ伏せが出来るようになったと写真が送られてきた。母乳を卒業させるためにお茶を飲ませたら便秘になったともいう。赤ん坊も慣れないものに微妙に反応する。顔付きも変わってきて、送られてくる写真を見ると男の子のようだ。我が子たちもそうだったけれど、赤ん坊の顔は父親似になったり母親似になったりしながら大きくなっていく。

 親子の歳の差を世代と呼ぶ。30年周期なんてないのかも知れないが、世の中はうまい具合に変わっていくようだ。私が地域新聞を作っていた30年近く前、隣りの市の大型スーパーが撤退することを決めた。周りの住民は反対だった。その説明会で大型スーパーの責任者が「同じ店舗で10年も続けていたら時代に乗り遅れてしまう」と言った。まだまだお客は多かったから、その時は理解できなかった。けれどもすぐに複合的な大型店が出来てきた。先日、送られてきた友人の自伝に「業態寿命30年」という見出しを見つけ、やっぱりと思った。

 その友人は「曽祖父は何を思ったか、明治の終わり頃突然米商人を目指し、百姓をやめた。それから百年。私の家は米流通の世界をひたすら愚直に歩き続けてきた」。2年前に古希を迎えた友人は、長男に社長を譲った。米穀卸の株式会社を創立して40年を経ていた。友人は米穀卸会社の他に全国チェーンの英語教室も開いていて、娘が通っていたことから知り合いになり、私が地域新聞を発行したいと話した時、親身になって協力してくれた。友人の自伝『米とともに3千年』(中経マイウェイ新書)を読んでその誠実な人柄がよく分かった。

 それと、出会いの不思議さを感じる。友人は「本当に縁というのは不思議である。どこに何が転がっているか分からない」とカミさんとの出会いを書いているけれど、カミさんだけに留まらない。友人は出会いをきっかけに成長していく能力を持っている。出会いからどんどん発展していくか否かによって、人は変わるのだろう。「私は温和な外見の内側に、いつもちょっとした鬱屈を抱え込んでいる人間であった」が、「プラス思考の行動型人間に変貌した」のも、友人自身の努力も大きいが、そうさせてくれる出会いがあったと思う。

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民主主義って何だろう

2014年10月13日 17時37分11秒 | Weblog

 香港の学生たちによるデモに対して、中国政府が「デモは民主主義を破壊する独裁だ」と非難したのを聞いて、民主主義って何だろうと思った。学生たちは香港行政府のトップを市民が投票で選ぶようするというので喜んだが、立候補者を選ぶ機関が設けられるのでは誰でも立候補できないと反発した。デモが長引いて、商売をする人たちは「商売が出来ない」と学生たちに抗議を始めた。香港行政府も学生たちに対話すると妥協したのに、これを翻して対話拒否に転じた。

 スコットランドの独立を支持するか否かの住民投票は、投票率は84.6%と高かった。どんなに関心があっても権利を放棄する人が10~15%くらいはいる。事前の調査では拮抗していたのに、結果は独立に反対が多数となった。態度を決めかねていた人の多くが独立反対に回ったからと言われている。決め手は独立した方が得か損かであった。要するに信念とか理想とかではなかった。それに独立を目指したのが民族党で地域エゴが前面に出たこともマイナス要因となった。

 資本主義は儲けるためにあるから、企業は国境を超えて利潤の大きい所へと移る。昔は国家が企業を保護していたから軍隊が必要だったけれど、今では企業が多国籍になっている。戦争で儲かるうちならそれでもいいが、儲からないのなら儲かる仕組みに変えていくのが資本だ。企業の利潤追及と民意とは異なるけれど、人々がいて消費があるから利潤が生まれることを考えれば、どこかで結びつくような気がする。

 首長も議員も市民が直接選ぶのに、必ずしも民意を反映していると言えない。大阪市の橋下市長のように「市民のため」と豪語していても、果たしてそうなのかというケースもある。それでもなぜかリーダーには強引な個性を求める傾向にある。危ない時代だと思う。香港やスコットランドのように、自治の形態としては小さい方がいいと私は思う。国家がどんどん細分化されて、一方で経済は国境を越え、現在のような国家の形がなくなっていくのではないか、そんな気がする。

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将来が楽しみな子

2014年10月12日 17時26分31秒 | Weblog

  また台風が近づいている。ルーフバルコニーに出て鉢を移動する。秋のバラが咲いていたので、食卓に1輪、玄関に2輪、置いた。花があるだけで少し和らいだ空間になる。昨日は完成した井戸に電動ポンプを据付け、最後の仕上げをする段取りだったけれど、私は失礼して、恩師の息子さんが開いている野外展示場のミニコンサートへ出かけた。無党派市民派の勉強会を開いていた時の友人が開催地の首長になっているので、「会場へ来てくれますか?」と連絡したところ、「参加し、近況もお話ししたい」と返事が来た。

 首長が来ることで権威付けるような息子さんではないし、「来てやった」と威張るような友人でもないが、何かの縁で役に立つならと思った。恩師の長男はアーチストにはならなかったが、地域のボランティアを束ねる立場にあり、長い目で見ればお互いにどこかで結びつくこともある。「近況もお話ししたい」と言っていたが、この後も予定があるようで、結局移動する車の中で話すに留まった。誠実を地でいくような人だから首長にふさわしいが、大変な日々を過ごしているようだ。

 家に帰ると長女と5歳の孫娘がやって来た。孫娘は頭をネットで包んでいる。前日に遊んでいて頭に大怪我をしたという。娘に「大丈夫か?」と尋ねると、「病院に運び込まれていたら縫われてた」と言う。怪我をしたことはショックだったようだが、いつもと変わらず元気だった。飾り棚にあるとうもろこしの人形と藁の馬を取り出して、「あなたはどこへ行くの?」「私はあなたのことが心配なの!」などと自作の物語にあわせて人形と馬を操る。そのため、この2体はボロボロになってきた。

 私が黙ってみていると、「ねえ、これやらない?」とカードの絵合わせを持ってくる。ふたりで3度も挑戦することになった。子どもは潜在能力が大きい。どんどん探し方を工夫していく。長女も何にでも興味を持ち、挙句の果てに怪我をすることが多かった。この孫娘もその血を受けつないでいるようだ。私は子どもたちのやりたいようにやらせてきた。カミさんは「あなたが面白がるからいけない」と怒るが、子どもの能力に感心はしたが放任していたわけではなかった。孫娘は将来が楽しみの子に育っている。

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ノーベル物理学賞の3人

2014年10月11日 11時13分48秒 | Weblog

 ノーベル物理学賞が3人の日本人に贈られることになり、その人柄について毎日報道されている。85歳の赤碕勇さんの受賞を称えたつもりの学生が、「生きていて本当によかった」と言ったが、この報道はそれっきり1度も出てこない。長生きされたからノーベル賞の栄誉を受けられたとはいえ、それはあからさま過ぎるし、業績への評価ではない。記者会見をテレビで見たが、とても85歳とは思えなかった。それにとても謙虚な方という印象を受けた。

 発光ダイオードなるものがどのようなものか、私は全く知らないが、20世紀中は無理だろうと言われていたのに、赤碕さんは作り出すまでやり続けたという。企業は利益が出そうにないものに投資を続けることは出来ないが、大学では研究者の熱意があれば出来るようだ。発見や発明が偶然から生まれることはよくあるようで、青色ダイオードの元となった化学物質もたまたま電気炉の温度が上がらなくて、いわば失敗のはずの環境が逆に成功させたという。しかし、考えてみれば何千回も失敗を繰り返してきたから辿り着けたといえる。

 結晶を作り出すことに成功したのは赤崎さんの弟子の天野さんだが、彼は「私が受賞していいのでしょうか」と赤碕さんに問うている。これに対して赤崎さんは「一緒に受賞できて本当にうれしい」と答えていた。師弟の信頼関係というか、愛情の深さを感じた。もうひとりの中村さんは「発明のエネルギーは怒りです」と話していたが、この人も随分と率直な物言いをする人だ。研究のためには何が必要で、それを活かすためには何をする必要がある、そのためには妥協をしないという強さを持っている。

 偶然と失敗の連続なら、おそらく誰もが経験してきたことだけれど、凡人の私は偶然の出会いも痛烈な失敗も気が付かない。気が付かないから平気で生きていられるけれど、何も学ばないから成功することもなければ大きな前進もない。むしろ、何事もなくてよかったと安堵している。世紀の大発見をするような人は極稀で、多くの人が平々凡々と生きている。いや、普通に生きている人が大勢いるから非凡な人が先端を切り開いていけるのだと勝手に解釈している。

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最後にしたいことは?

2014年10月10日 17時59分54秒 | Weblog

 「ガン保険の契約内容をちゃんと見ておいて」とカミさんが言う。「ガンにはならないから」と答えると、「そんなこと言ってる歳じゃーないわよ」と叱られた。いつ、どのような形で逝くか分からない。それは充分承知しているつもりだ。ストレスは万病の元だが、ストレスのない人生などあり得ない。大和塾が10周年を迎えるまでは生きていなければならない。これはストレスだが目標でもある。そう考えるとあと2年が、まだなのか、もうなのか、そんなところだ。

 朝は遅くまで寝ていて、昼ご飯の後にまた寝て、夜も結構早くから寝ている。コーヒーは毎日欠かさず飲み、夜はお酒を毎晩飲み、美味しいものを食べ、医者が「運動しなさいよ」と言ってくれるのに、「はい」と言いながら全く運動しないで、「太らないから大丈夫だろう」と勝手に解釈している。時々は井戸掘りに出かけ、時々はルーフバルコニーで植木鉢の世話をする。こんな日々を送っているのに、「ストレスでガンになりました」とは言えないし、ガンになることもないだろうと思い込んでいる。

 「人生の目的は何ですか?」。先日、いただいたある宗教団体の小冊子の表題である。冊子は「西洋でも東洋でも、生きる目的は富を得ることだと考えている人は少なくありません。そのような人は、富を得れば幸福で有意義な人生が送れると思っています」と説き、宇宙を創造し人間を生み出した設計者(神)に尋ねるべきだと展開していく。「幸せになること」を否定する、人も宗教も政治もない。でも、考えてみると「幸せ」を何かと説明することはできない。人によって受け止めるものが全く違うからだ。

 「なりたいもの(職業)は何ですか?」と問われれば答えられる人は大勢いる。けれど、なれたから幸せかと言えばイコールではない。それに職業だって、たまたま就くことになった人が圧倒的だろう。自分が何に適しているのか、そんなことは一生かかっても分からないことかも知れない。人生はあいまいなものだ。与えられた場、あるいは勝ち取った場なのかも知れないが、とにかくそこで努力する以外ない。人間はそんな風に定められている。

 「まだ、何かしたいことは?」と聞かれても、いったい何がしたかったのだろうと考えてしまう。やり残したと悔やむようなものは何もない。「最後にしたいことは?」。うーん、それは秘密。人に話せば笑われてしまうから。

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ドラマの最終回

2014年10月09日 19時04分34秒 | Weblog

 NHKテレビの火曜日夜10時からのドラマは面白いものが多い。今週で最終回となった末広涼子さん主演の『聖女』も、やっぱりそういう終わり方かと思うドラマだった。売春婦の娘と蔑まされ、誰も信じられないまま大人になった。東京に出てきて有名女子大の授業をモグリで受けたりて、知識と教養を身につけていく。男の方から彼女に近づいて来て、世話を焼いてくれる。聖母像のマリアのようになることが彼女の夢であったが、彼女が優しく微笑むだけで男は彼女のために尽くすようになる。

 彼女の周りで彼女に尽くした男たちが死亡する事件が起き、悪魔の女と言われるようになる。裁判が始り、彼女の弁護を担当する事務所の一人に、昔、彼女が家庭教師をしていた時に教え、やがて恋するようになった男がいた。弁護士事務所の働きで、彼女の愛した方は世間とは違うけれど、だからと言って人殺しはしていないことが明らかになっていく。そして彼女は、本当に愛したのは家庭教師の時に愛し合い、今は弁護士になった男だと知る。

 男が悪い訳ではないが、弁護士になった男には結婚する女がいた。男は弁護士として彼女を助けたけれど、恋人を捨てて彼女と一緒になることは出来ない。彼女は本当に愛した男に巡り合えたけれど、成就することはない。裁判で無罪となり、これからどんな風にでも生きていけるはずだが、彼女にはもう未来はない。結局、彼女は海に入って死んでしまう。ドラマとしてはこういう結論しかないのだろう。

 秋になって、いくつかのドラマが最終回だった。木村拓哉さん主演の『ヒーロー』も最終回は見た。前にも書いたが『若者たち』も最終回を見た。中年の男女を描いた『同窓会』は時々見ていて、最後がどうなるのだろうと思って最終回を見た。最終回を見ると、そのドラマがいいたいことがよく分かる。9月8日に中秋の名月を見た。10月6日に十三夜を見た。昨日の皆既月食も3度眺めた。月の変化もドラマの変化も、見ているうちはなぜか心惹かれる。

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タケテとバルームの法則

2014年10月08日 18時25分08秒 | Weblog

 「タケテとバルーマって知っていますか?」と、今では超有名人となった卒業生が言う。「知らないなあ」と答えると、彼は直線による図形と曲線による図形を描き、「どちらがタケテで、どちらがバルームですか?」と、さらに質問する。「言葉の印象から、タケテは直線の図形で、バルームは曲線の図形だろう」と答える。「これって、先生が意匠学の時に教えてくれた『タケテとバルームの法則』ですよ。私も大学でこれを教えています」と言う。

 高校生の時の彼は少し変わり者だった。変わり者だけなら他にもいたと思うけれど、どちらか言えば正統派の変わり者だった。70年安保で東京では学生たちが暴れ回っていた。彼は理屈っぽいというレッテルを貼られ、先生たちからマークされていた。礼儀正しかったし、問題児とは思わなかった。むしろ、特異性のある生徒を可愛がる傾向が私には強かった。石膏デッサンの時間、見回りをしていると彼は線だけで描いていた。その線はとてもよかった。思わず褒めた。そのことをすっかり忘れていたけれど、有名人になった彼から「褒められたことが自分の出発点でした」と手紙をもらって、そんなことがあったと思い出した。

 意匠学で何を教えていたかも曖昧だ。教科書はあったけれど、指導要領のようなものはなかったので、その都度授業の材料を探して行なった。日本人の美意識についてはかなり触れたつもりであるし、「造反有理」の意味を解説したことはあったけれど、「タケテとバルーム」は覚えていない。生徒たちを驚かせるための口からでまかせだったのだろうか。しかし、彼の記憶にはっきりあることから推察すると、どこかで誰かが教えたことを、私だと思い込んでいることなのかも知れない。こういうことはあれ(私のこと)なら言うだろうと思っていたことが、何時しか言ったとなることはある。

 人間はとてつもなく賢いが、とても感覚的な動物でもある。赤い色を見て失望をイメージしないように、言葉の響きからも連想が生まれる。音が音楽になることを考えれば、人間がいかに感覚的存在かが理解できる。「タケテとバルームの法則」が実際に存在し、それが私とは無関係であっても、むしろ私をそんなに評価してくれた彼こそが真の天才であろう。ありがとう。

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命をかけるもの

2014年10月07日 18時02分10秒 | Weblog

 過激派武装集団「イスラム国」に参加し、「戦闘員として働くつもりだった」と大学生は語ったという。昨日のニュースでは、大学生はトルコ経由でシリアへ渡る計画で、出国直前に捕えられた。「旅行だ」と言い逃れをせずに、「戦闘員になる」と言うので、そのため刑法93条の「私戦予備・陰謀の罪」となったようだ。それにしても、「戦闘員として戦う」のではなく、「働く」というところに大学生の認識の甘さが出ている。

 北海道大学の学生というけれど休学中で年齢は26歳、しかも東京でイスラム教の信者になったとあるから、屈折した何かがあったのだろう。精神科医の香山リカさんが中日新聞のインタビューに、「早晩こういう人が出てくるかなと思った。学生運動やオウム真理教に参加した学生と根っこは同じかもしれない」と答えていた。「家庭の経済力やコネといった自分の努力以外で物事が決まる現実に、真面目な人ほど欺瞞と失望を感じ、極端な主張にひかれやすい」という分析にはなるほどと思うが、学生運動とオウム真理教は似たところもあるが違うと感じた。

 70年代の学生たちによる乱闘以後、学生運動は失速した。ストライキを行なう組合もなくなった。暴れるだけでは世の中は変わらないという空気が支配的になった。世の中が変わらなくても自らを変えることで救いを得ようとしたのがオウム真理教だと思うが、仏教の悟りの目的でもある。大学生がどんな理由からイスラム教にひかれたのか分からないが、戦闘集団の「イスラム国」に加わることの意味が分かっているのかと思えてしまう。

 「あなただって、福島原発の事故を止められるなら自分の命を捨ててもいいとブログに書いてたじゃーないの?」とカミさんは冷やかすが、自分の命で大勢の人が救われることと、自分の命で大勢の人を殺すことでは全く違う。人を殺して作られる理想社会などあり得ない。イスラム過激派を自由社会の敵とみなして抹殺するアメリカやフランスも間違っている。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイによる福音書26・52)と言うキリストが正しい。

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台風18号は通過したが‥

2014年10月06日 17時37分32秒 | Weblog

 台風18号は大型で強い暴風雨が予想されるというので、南のベランダに置いてある鉢や物入れは部屋の中に、西のルーフバルコニーの鉢は出来るだけ風の当たらない場所に移動させた。こんな風に万全の備えを行なった時は被害が少ない。だからと言って何もしないでおれば後から悔やむことになる。結果から言えば、ほとんど何事もなく台風は通り過ぎてくれた。

 前日の土曜日、鈴鹿の山にかかる夕日がいつも以上にきれいだった。夕日が見える翌日の天気はよくなるはずだった。頼まれている井戸掘りを行なうつもりでいたのに、雨が降ったり止んだりの天気になり、安全を考えて中止となった。土曜日は祖父母参観日のため私は参加できなかったけれど、先輩たちは井戸掘りを続け、7メートル近くまで掘ったという。黒っぽい砂が出てきているというからもう少しだろうと自分を納得させていた。

 次の連休にはポンプの据付まで行いたい。10月19日は大和塾の第38回市民講座『国際ボランティアの原点』を開催する。そして22日から28日までは九州旅行を計画している。友だちのお姉さんが日本の親戚に挨拶するためアメリカから帰国するので、「姉に日本の紅葉を見せてやりたいから、一緒に行かないか」と誘われた。お姉さんにはアメリカへ旅行した時、ずぅーと一緒に回ってもらった。日本に来た時は一緒に旅しましょうと約束していた。

 アメリカの広大さはないけれど、せせこましいながらも日本のよさはある。お姉さんは77歳になるが、美人でまるで映画に出てくるような女性だった。若くしてアメリカに渡り、すっかりアメリカ人になりきっていた。生まれ故郷の熊本の親戚のところへ行くのなら、車で九州を回ろうと友だちは考え、コースを決め宿泊ホテルを予約し、着々と準備を進めている。私も恩返しの気持ちもあり、九州旅行が楽しみになってきた。

 幼い時に父親を亡くした友だちは2つ違いのお姉さんととても仲がいい。国際電話にもかかわらず1時間かけても話が尽きないという。姉と弟でもそんなに話せることが羨ましい。私にも姉がいるし妹もいるけれど、電話する時はだいたい用件を伝えたらもう話すことがなくなってしまう。姉は施設に入所してしまい、内面に立ち入るような話はもうできない。聞きたいこともあったけれどそれも無理だ。人生は短いと痛感する。

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高齢者肺炎球菌ワクチン

2014年10月05日 17時25分02秒 | Weblog

 高齢者肺炎球菌ワクチン定期予防接種の案内が届いた。今年の10月から定期予防接種となったとある。70歳から5年おきに接種するというもので、そのため私のところにも送られてきた。「日本人の死亡の第3位が肺炎なのです」と、西田敏行さんがテレビでコマーシャルしているのを見たが他人ごとと思っていた。高齢者をそんなに長生きさせてどうするのだろう。医者や製薬会社は利益があるとしても、高齢者が長生きすればますます若い勤労世帯の負担が増えるばかりだ。

 高齢者でも健康で長生きしたいと願う人は接種を受ければいいけれど、70歳まで生きてきたのだから後はもう気にしないという人も多いはずだ。「美人薄命と言われてきたけど、70歳まで生きてきたのよ。後は老婆と言われるまで」と開き直る人もいるし、実際、80歳でも若々しく健康でボランティア活動に精を出している人もいる。社会貢献はしていなくても、ゴルフにカラオケにと多忙で、病院に行ったことがないという人もいる。高齢者の生活もそれぞれで、一律にする必要はない。

 カミさんの両親はふたりとも72歳で亡くなったから、カミさんは少なくとも両親の歳を越えることを目標にすべきだろう。私の両親はふたりとも54歳でこの世を去ったので、私は充分に親を越えた。母が亡くなった時、祖母はまだ元気だった。祖母は病室で「親よりも先に逝くのは親不孝者だよ」と母の名を呼び続けていた。土曜日に5歳の孫娘の保育園で、「祖父母参観日」が行なわれ、出かけて行った。5歳の孫の祖父母となると若いジジババが多い。孫娘はかなり興奮気味だったが、見渡すと我が家の孫だけでなく、子どもたちは一様にふざけ合いテンションが高かった。

 祖父母に認められたいというつもりなのだろう。中でも我が家の孫が一番目立つ。席を立って注意しに行きたいくらいだった。そんなことを帰り道でカミさんに話すと、「あなたは面白がって放任していたわよ」と言い返されてしまった。その結果が我が家の娘たちであるなら、何も心配は要らない。5歳の孫娘も立派な大人になるだろう。そうなると問題なのは「ワクチンは接種しない」と言い切る私にあるようだ。

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