友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

強風のチューリップ鑑賞会

2016年04月08日 18時04分48秒 | Weblog

 今朝、10時頃は風も止み、陽が差してきそうだった。今年はルーフバルコニーでお茶を飲みながらチューリップを鑑賞してもらえる。早速、イスとテーブルを並べて準備にかかる。ところが30分もしないうちから風が強くなって、ルーフバルコニーでのお茶は無理になってきた。午前11時には友だちが、そして正午にはカミさんの親族が来るというのに全くついていない。

 カミさんの実家の隣りは女性の独り住まいで、もう高齢だからかゴミ屋敷になっている。義弟が「ゴミ出し手伝いましょうか?」と声をかけると、それまでは拒否していたその人が、「お願いしていいかね」と言ってくれた。それで地域の自治会や民生委員や行政、隣組などに集まってもらい一気に片付けたと言う。他人に頼ってはダメという気持ちが高齢者には強い。それでも自分がもう動けないのだから誰かの手を借りなければ片付かない。「20年近く経てやっと頼る気になってくれた」と義弟は言う。

 人は誰かに頼らなければ生きていけないのだから、素直になればよさそうだがなかなかそういかない。リオ・オリンピックで入賞すると言われていたバトミントン選手が賭博行為で出場できなくなった。スポーツ選手と賭け事は無縁ではないと思う。スポーツの好きな人は勝負にこだわる。こだわるからこそ必死になって勝とうとする。スポーツが好きでない人はすぐに諦めてしまうから勝つことも出来ない。

 友人のスポーツ好きを見ても、何事にも一生懸命だ。負ければ悔しがってさらに挑む。勝負事で大きな金が動くとなれば止められなくなるのだろう。大人の教育が必要だと言う人もいるが、賭け事すべてを禁止すればいい。私の兄は賭け事で財産を無くした。私には賭け事のどこが楽しいのか分からない。この世から賭け事が無くなれば助かる人は多いだろうに、残念ながらそういうことが好きな人もいる。人間は不思議だ。

 誕生日会の友だちと猿投温泉に1泊で出かけるので、明日と10日はブログを休みます。

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『とと姉ちゃん』の父親

2016年04月07日 18時31分33秒 | Weblog

 NHKテレビの朝のドラマが新しくなった。この前ドラマ『あさが来た』が好評だっただけに、見る人を引き付けるのは大変だろう。まだ、太平洋戦争に突入する前の昭和の初め頃だ。ヒロインの父親は、この時代にこんな人がいたのだろうかと思うほど「民主的」だ。1)子どもたちと月に一度は必ず出かける 2)朝食は家族揃って食べる 3)自分の服は自分でたたむ。この3つが家訓だという。

 私の父は明治末の生まれだから、ドラマの父親と同じくらいの歳だろう。姉は「とても厳しい人で、礼儀や学習に特にうるさかった」と言う。ところが私や妹は、父から叱られたり指示されたことがない。月に一度ではなかったが、年に二・三度は家族一緒に遠くへ出かけた。時々、お土産を買って来て家族でいただいた。教師だった父は戦前の教育への反省から、「民主的」な父親像を求めたのかも知れない。

 ドラマの父親と同様に、威張ったりすることはなかった。ただ、いつも本を読んでいる姿が目に残っている。感情的になることはなかったが、一度だけ祖父に凄い剣幕で言い返した。それが何だったのか覚えていないが、父が怒る姿を見たのはその時だけだった。父の怒りの原因は、自分のことでは腹を立てる人ではなかったから、祖父が私たち子どものことか、妻である母のことで何かを言ったのではないかと思う。

 父は医者になって小説を書くのが夢だったと姉は言う。けれど、医者にはなれず教師になった。それを支えたのが母だったので、父にとって母は頭の上がらない存在だったと思う。母は陽気な女性で、蛍光灯にホコリのようなものを見つけて、「ウドンゲの花が咲いたわよ。きっと素敵なことが起きる」と子どものようにはしゃいで父に見せていた。父は否定せずに眺めていたが信じていないようだった。

 父は若くして小学校の校長になった。その頃の日記に、「花を入れ替えてくれたのは貴女ですね。運動場から貴女の声が聞こえる。美しい貴女の姿が見え、心躍る」などと書いている。

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上野千鶴子さんは凄い、流石だ

2016年04月06日 18時49分04秒 | Weblog

 上野千鶴子さんは凄い。流石だと思った。昨日、メールで「演題と講演の内容を要約したものを送ってください」とお願いしたところ、今日、もう返信が来た。エライ人になるとなかなか返信しない人が多いが、やっぱり上野さんは違う。役所の新人に、「返事は素早くするのがコツだよ」と私は言ったが、上野さんはその通りの人だった。

 出来ることもあれば出来ないこともある。けれど、一向に返事がないと人は心配になる。心配はやがて不信になる。出来なければ出来ないでよいので、その理由を含めて素早く返事をすることが信頼を深める。「アイツに言っても当てにならない」となれば信頼など生まれるはずもない。上野さんは前向きで、真面目な性格が表れている。理屈っぽいだけの人ではない。

 私が上野さんを知ったのは、あのベストセラーになった『スカートの下の劇場』が話題になったからだ。女性学という分野があることも上野さんのおかげである。1980年代末から90年代はフェミニズム論争が盛んだった。河野貴代美さんの『性幻想』や小倉千加子さんの『セックス神話解体新書』など衝撃的な本が出版された。

 『スカートの下の劇場』は購入したが、女性の下着のパンティを学問的に分析したものだったので、実はしっかり読まずに書棚に並べたままだった。最近、上野さんと湯山玲子さんとの対談集『快楽上等!』(幻冬舎文庫)を読んで、赤裸々に自らをさらけ出し「人間とはなにか」に迫る真摯さに凄いと思った。

 上野さんの講演を聞いたのは、私が無党派・市民派の地方議員の勉強会をしていた頃だったからもうずいぶん昔になる。歯切れのいいしゃべり方をする人だと感心した。攻撃的だったが、ものの捉え方は正確で、気持ちのよい正論だった。年を重ねるとさらに説得力が増す。ぜひ、大和塾の講師に招きたい。そして一緒に話してみたいと思った。その日が本当に来ることに驚いている。

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上野千鶴子さんの市民講座に向けて動き出した

2016年04月05日 17時37分48秒 | Weblog

 チューリップが咲き揃ってきた。今年は全体に早いが、それでも15鉢がまだ未成熟だ。植え込んだのが比較的いつもよりも早かったのと、やはり暖冬の影響なのだろう。それと球根の種類の違いも大きい。ゆっくり大きくなって咲くのもいいが、こうして一度にパッと咲くのは華やかでいい。

 7月3日(日)の午後に開催する上野千鶴子さんの市民講座に向けて動き出した。書籍の販売は大和塾で引き受けるまでは決まっていたが、年度末のため進まなかった。今日、テーマと講演趣旨について上野さんに手紙をメールした。ところが年月日を2018年としてしまい、慌てて訂正の文書を送るドジを露呈してしまった。いや今日は、市役所とのやり取りでも文書を添付せずに送ってしまった。

 「いつも沈着冷静な人が」と冷やかされるくらい『桜の宴』で飲み過ぎたようだが、未だにその後遺症なのだろうか。「年を取るとドジばかりだ」と、先輩が嘆いていたが私も同じだ。私よりも年上の人たちは「男の意識」が強い。九州の出身者は「女は男に仕えるもの」と口にする人もいる。私の家は両親が教員の共働きだったので、女性だからという雰囲気はなかった。母は私に「紳士でいなさい」と口癖のように言った。

 父が台所に立つことはなかったが、母への思いやりは子どもでも分かった。男女共同参画の会議などで話題になるのは、男性が家事や子育てに励むべきということが多い。男性だって家事や子育てが楽しいと感じる人は多いと思う。私たちニューファミリーと呼ばれた世代は、公園などへ子どもを連れて一緒に遊んでいる。私が議員の時、学童保育の時間延長を求めると、保育に当たっていた保育士さんから「子どもが可哀想でしょう」とたしなめられた。

 両親も子どもたちも出来るだけ一緒に長くいられる社会がいい。労働時間が短縮されても生活に困らない社会がいい。働く者が生きがいを感じられる社会がいい。社会の仕組みや制度に挑戦しない男女共同参画論議などあり得ない。上野さんがどんな話をしてくださるのか、楽しみである。

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強欲が男の本質なら

2016年04月04日 19時08分37秒 | Weblog

 男がみんなそうだとは思わないが、「女の子を誘拐したい」という気持ちはあるような気がする。朝のフジテレビで、後ろから自転車で来て、お尻を触る「パンツ仮面」を取り上げていた。「いきなり触られたら、ドキッとする。とっても怖い」と言う女性たちに対して、男性たちは行為そのものは非難していたが、どこかで「お尻くらい触られたって減るものじゃーないし」という気持ちが漂っていたように思った。

 ここが男性と女性の大きな違いだ。男性があいさつ代わりにお尻をポンと叩けば、それはセクハラになる。お尻を触るのは確かに、男性にとって性的快感を与える行為だ。相手の女性が不愉快に感じるのに、「悪いとは思わなかった」と言ったところで許されることではない。男性はなぜ女性の身体に触れたがるのだろう。お金を払うキャバクラではおさわりが許されるし、ホストクラブでも同じことだ。

 誘拐犯がどんなに優しく少女に接したとしても、少女の中に恐怖が存在する限り、男と対等な関係ではない。誘拐犯が少女に恋心を抱き育んだとしても、少女が男を恋人と認めない限り、男は永遠に監禁し続けなければならない。心が解け合うにはまず対等でなければならないだろう。民主党と維新の会が民進党を立ち上げたが、どこまで心が解け合っているのか大いに疑問だ。

 力づくで世界を支配してきたアメリカの大統領選挙で、トランプ氏は「アメリカに余裕はない。韓国や日本に居る米軍は引き上げたらいい。日本は核武装しろ」とまで言っている。まず自分が、次は自分の家族が、そして自国がよければという主張だが、大勢のアメリカ人が彼を支持している。彼なら、誘拐も監禁も、「殺していない」と言い切るかも知れない。

 「欲しいものを手に入れて何が悪い」。男なら一度くらい言ってみたいセリフだが、言えないのは財産も地位もないためなのだ。理性だけでコントロールしているとはどうしても思えない。けれど、強欲が男性の本質なら、女性は愛想をつくか、それとももっと大きく包み込むのか、どっちなのだろう。

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途中から記憶がなくなった

2016年04月03日 17時11分25秒 | Weblog

 「桜の宴」は総勢23人が参加。午前6時半に場所取りに出かけ、午前9時半にお酒の入ったクーラーボックスや紙コップ・紙サラなどを車で運ぶ。午前11時におつまみやおにぎりなどの食べ物を持って会場へ向かって歩く。晴天ではないが、温かく気持ちがいい。子どもたちも大はしゃぎだ。40分ほどで現地に到着。先発組は場所を守ると称してすでに盛り上がっている。宴会の準備が整い、代表が挨拶する。

 昨年は雨のため、マンションの1室で行った。久しぶりに桜の下の宴会で大いに盛り上がった。新しく参加してくださった2組があり、違和感がないようにと思ったがそれは杞憂だった。ワイワイガヤガヤ話が弾み、そのうち席を移動してますます打ち解け合い、楽しい「桜の宴」となった。ところがそのあたりから記憶がない。なるべくビールだけ飲むようにしていたので、酔うことはあっても記憶が無くなるとは思ってもいなかった。

 五条川の宴会場をどのように撤収してきたのか、ごみの始末や周りへの気遣い、道中の安全などいつもやって来たことが全く覚えてない。マンションに戻り再び1室で反省会の酒宴となった。そこでまたビールを飲んだが、どうやって家に帰ってきたのか記憶がない。仲間のひとりが感激してしゃべっていた。それを聞きながら涙が流れた。それは覚えている。「いつも沈着冷静なあなたが大熱弁だったよ」と今日、先輩に指摘された。

 今朝、頭が痛いことはなかったが、起きられなかった。食事をしてまた眠り込んでしまった。身体のあちこちが痛い。ほとんど同じ姿勢で10時間もいたからだろう。それにしても、記憶がないほど酔っぱらってしまうとは恥ずかしい。「いいじゃ―ないですか。みんな、とっても満足な宴会だったのだから」と先輩は言う。ありがとうございました、皆さん。

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今日はエイプリルフール

2016年04月01日 17時10分23秒 | Weblog

 夜中に腹が猛烈に痛くなった。腹痛で死んだという話はあまり聞いたことがない。変人の私だからなのかと思った。それにしても困った。7月3日に上野千鶴子さんを、9月24日に姜尚中さんを市民講座の講師に招く。それまでは生かしておいてくださいと神様に頼んであった。それが済めばいつ死を与えてくださってもかまいません。それでも1年か2年は遊ばせてくださいと図々しくお願いしていた。

 やるべきことはやった。ただ、会いたい人がいる。もし、手が動くなら最後にもう一度絵も描いてみたい。それなのに今晩が最後になると、まだ身辺整理が出来ていないから、恥ずかしいものが出てくる。腹痛はことの始まりで、これからどんどん変化し、最後は心臓停止かと想像する。ダメだ、これ以上寝ていられない。トイレに行こう。時計を見ると午前2時を回っている。そうか、今日はエイプリルフールか。

 明日は絶好の花見日和という。私たちは毎年、岩倉市の五条川の一角で「桜の宴」を行っている。誰が参加するのか、買い物のリストと役割分担を話していた時、ひとりのケイタイが大きく震え、「地震です。地震です」と叫ぶ。すると打ち合わせをしていた人たちのケイタイが一斉に「地震です。地震です」と叫ぶ。それから3秒後、12階の我が家はゆっくり揺れ出した。「慌てないで。この後、揺れが大きくなるとマズイ」。次の揺れを待つ。

 30秒以上経て、揺れは収まった。ケイタイを見ると「和歌山県沖で地震発生」とある。とうとう南海沖地震が始まった。これは第1波で、次はもっと大きな地震が来る。「明日の桜の宴は取り止めですか?」の声。「バカなことを言っちゃいかん。ゆらゆら揺れる桜を眺めるも風流なもの」。「えっ、それなら毎年ほろ酔いで、風流な花見を楽しんでいます」。そうか、今日はエイプリルフールか。

 そんな訳で、明日のブログは休みます。これは本当です。

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