友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

カミさんはとても張り切っている

2016年07月18日 17時20分09秒 | Weblog

 日差しがあって暑い日だが、強い風があるので涼しい。未だに咳き込んでいるカミさんは「どうもすっきりしないからジムで汗流してくる」と出かけて行った。先日もゴルフに出かけたが、一緒に行った人から「大丈夫?」と、心配というか嫌がられたようなのに、本人は「熱もないし、咳き込むだけで、どこも悪くないから」と意外に気にしていない。

私は午前中、鼻水が出てクシャミが続く。左目がかゆくて真っ赤になっている。「風邪がうつったわねえ」とカミさんが言うので、「ああ、今朝は寒かった」と答えると、「今朝は暑いわよ」と咎められる。同じ環境に居ながら寒暖の受け止めが全く違う。私のクシャミはこの寒暖のためか、あるいは目がとてもかゆいのでアレルギー反応だろう。敏感に反応する人と鈍感な人の違いだと思うけれど、それを言うと話が長くなる。

 カミさんは朝から、9月に帰って来る次女たちのためにいろいろと思いを巡らせている。次女のダンナが9月24日に行う「姜尚中さんの市民講座に参加したい」と伝えてきた。その週の初めにダンナの実家に戻るので、ご両親も一緒にこちらに来て、みんなで市民講座に出席すると言う。25日からダンナは仕事だから23日に一泊する計画になり、それならいっそのこと温泉に行こうと話が進んだ。

 カミさんは早速、名鉄電車と温泉旅館がセットになったパンフレットをもらってきて、これまではパソコンで検索するようなことは苦手だったのに、「ああでもない、こうでもない」とパソコンに向かって奮闘している。2歳の孫娘と久しぶりに会えるばかりか、ダンナの両親まで来てくれるというので、一人盛り上がっている。2歳を過ぎた孫娘とはラインで時々会話しているが、その成長ぶりに大いに満足し、ダンナのお母さんと喜びを共有しているのだ。

 宿泊プランはカミさんと次女に任せよう。あんなに張り切っているのに私が口を出せば、ややここしくなる。それよりも今週末から夏祭りが始まるが、主催者から「発電機を手当てしてくれ」と頼まれているので、目ぼしのところに当たってみよう。

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普通救命講習会

2016年07月17日 17時50分15秒 | Weblog

 「普通救命講習会への参加者が足りないので出て欲しい」と言われて参加した。初めに、救急車が到着するまでに平均で8分ほど時間がかかること、到着するまでに心臓マッサージを行い、AEDを使った救命措置を行うことで多くの命が助かることを学ぶ。次に、周りの人に助けを呼び、より多くの人に来てもらうとともに、倒れている人が呼吸をしているかを確認し、呼吸していなければすぐに心臓マッサージを行う。

 自分ひとりで抱え込まずに、近くの人を呼び119番に連絡してくれるように頼むこと、AEDがあれば持ってきてもらうこと。昔は、触らない・動かさないと教えられたが、現在は「まず呼吸をしているかを観察してください」と言う。心臓が止まって4分ほどで、脳の細胞も死んでしまうから、とにかく心臓を圧迫して欲しいと。1分間に100回から120回、強く速く絶え間なく押すようにと指示される。

 実際にやってみると、すごく力が要るから、30回押したら2秒休み続けてまた30回押す、これを交代してもいいから続けることが大切と言う。30回押して少し休む時に人工呼吸をする練習もしたが、実際には唇と唇を重ねるので躊躇してしまうことがあるそうだ。そういう時はマッサージだけでもよいと言う。そして、AEDが届いたなら電源のスイッチを入れれば音声が指示するので、慌てずにその通りに行えばよいと説明。

 AEDについてはむしろ落ち着いて行えるような気がした。ただ、電気を流すので感電しないように注意が必要と言う。一連の動作を何度か繰り返し、いざという時の心構えは習得したように思う。防災訓練でも、避難訓練でも、やっている時はこんなことで本当に役に立つのかと思うが、やったことがなければ何も出来ないから、やっておいた方がよい。防災でも、避難でも、そういう事態が生まれない方がいいけれど、どこで何が起きるか分からないのだから、今日のような講習会は大事なことだ。

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歳を取るほど直感力は向上するって

2016年07月16日 18時17分01秒 | Weblog

 小学1年の孫娘も、そして2歳の孫娘も、今朝は熱もなく元気でいると言う。私の子どもの頃は、「美味しいものを食べてよく寝れば治る」と言われた。美味しいものの代表はバナナでその次は玉子だった。昔、娘たちにそんな話をしたが、想像ができないようだった。「近頃の若いヤツは」と言われてきた私たちも70代。これも娘たちに話したことだが、私が子どもの頃は、70代の人をあまり見かけなかったし、見かけても顔はしわくちゃで腰が曲がった老人だった。

 「最近、物忘れがひどくて」と同年代の人は言う。けれど、「歳のせいで、物忘れがひどいというのは誤解です」と東大の脳研究者の池谷裕二先生は指摘する。「脳は歳をとっても簡単には衰えません。むしろ、歳をとるほど向上する脳の働きもあります。それが直感力です」と言う。でも、どうして近頃は物忘れが多いのかと不思議に思う。池谷先生は「身体の衰えを脳の衰えと思い込んでいるのです」と説明する。

 そして、「物忘れやど忘れは子どもも年配者もかわりません」と。それなのに高齢者は「物忘れがひどくなっている」と自分を責め、「やっぱり、歳だから」とか、「ますます進行してどうなっていくか」と不安を大きくしてしまう。ところが子どもは物忘れをしてもケロッとしている。高齢者は身体の衰えから生まれる諸々で脳まで衰えたと思い込み、追い込んでいるのだ。脳が活動できるのは、「目で見る、手で触る、耳で聴く、身体からの情報が入るからだ」と言う。

 だから、好奇心の旺盛な先輩はいつまでも若々しいのかと納得できた。私の周りの人を見ても、いつも何かに興味を持って動いている人、散歩などちょっとした軽い運動を続けている人、他人のためにボランティア活動をしている人などは、年齢よりも若く見える。私の子どもの頃よりも背筋が伸びた老人が多くなったのは、こういう前向きな人が多くなったせいだ。美味しいものを食べ、いろんなことに興味をもち、多分、恋でもすればもっと活き活きと生きられるだろう。

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自分を変えるのはしんどい

2016年07月15日 17時27分43秒 | Weblog

 小学1年の孫娘が「熱を出して寝ている」と長女から連絡が入り、カミさんと見舞いに出かけた。ダンナが仕事をやりくりして娘の看護にあたっていたが、当の本人は「微熱!」と言い、比較的元気で、ゴロンと横になってiPadを観ていた。学校へ入ったばかりのこの頃は、自分では気付かずに無理をしていて熱を出す子がいる。それにこの気候の変化だ、身体の方がついていけない。

 私もエアコンを付けずに寝ていたらびっしょり汗をかいて、体中に汗疹が出来てかゆみに苦しんだ。エアコンをつけるようになってやっと治まってきた。カミさんは咳が止まらず、同じように生活しているのに出る症状は全く違う。身体が受け継いでいる体質の違いなのだろう。孫娘も長女も破天荒と言うと格好いいが、怖気ずに平気でやってしまう。生活の仕方もルールにとらわれないかと言えば、長女は几帳面で孫娘の方はまだ赤子っぽい。

 「ママ、もっと心を開いて友だちを作ったら」と子どもから言われていたカミさんは、今では積極的に外に出て、友だちも多い。長女の積極性はカミさんの性格で、几帳面さ例えば物の置き場所など他愛ないことにこだわる性格は私に似ている。私は次女によく注意されるが、食卓の上や台所の流しが片付いていないと気になってしまう。カミさんの気になるところと私の気になるところは全く違う。上野千鶴子さんが「夫婦といえども他人は異文化、異文化はストレス」と看破したとおりだ。

 教員時代の友だちから暑中見舞いのハガキが届いた。「返事も出さなかったこと、ごめんなさい。『そんなことだで友達も出来ないんだわ…』と傍らに居る女性に、心に突き刺さる一撃を食らわされました。人生も終わりに近づき、今までの〝自分“を変えるのは、精神的にも肉体的にもしんどい。葛藤を生きることが、人生というものかも、なんて思ったりして」。そうだね、また、新任の時の仲間で集まろうか。ふと、そう思った。

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『セールスマンの死』に自分が重なって

2016年07月14日 17時59分35秒 | Weblog

 子育ては難しいが、男が生きるはもっと難しい。昨夜、アーサー・ミラー原作の『セールスマンの死』を観てそう思った。この戯曲がアメリカのフィラデルフィアで初上演されたのは1947年である。戦争が終わってまだ2年しか経っていないのに、この重苦しい演劇になぜ鳴り止まない拍手が贈られたのだろう。

 セールスマンのウィリーは典型的なアメリカ人。セールスを成功させて、社会的な地位を得ることと大金持ちになることを、人生の最大の目的にして生きてきた。1920年代のアメリカは未曾有の発展を遂げていたが、30年代に大恐慌となり、不景気で失業者は溢れ、商品は売れなかった。ウィリーのセールスでの成功の夢は消えかかっていたが、彼にはもう1つの夢があった。

 長男はフットボール選手で人気者だ。大学に進みプロ選手になれば大金持ちになれる。「お前は素晴らしい」と褒めちぎり、盗みをしても咎めず擁護してきた。ところが長男は数学の単位が取れなくて進学できない。そして家を出て行ってしまった。次男は長男のような才能はなく、自由気ままに暮らしていて、父親には頼りなく見える。

 舞台はウィリーが会社をクビになり自殺してしまう1日を2幕で演じる形なので、現実と過去とが重なり合って進行していく。夢を失った男は、その夢があまりにも大きかっただけに生きる希望を失った。子どもから罵られ、自分が大事にしてきたもの、全てを子どものため家庭のため、そして会社のため、身を粉にして働いてきたことが何も成就しなかった。

 子どもたちは父親を尊敬していたが、父親は普通の男に過ぎなかった。ウィリーは求め過ぎた。子どもにも、会社にも、家庭にも、彼は夢を求め過ぎた。その重圧に自分が耐えられなくなってしまった。「そこそこでいい」となかなか男は思い切れず、「いや、こんなものじゃーない」と人生の夢を描いてしまう。演劇を観ていて、ウィリーと自分とが重なり涙が溢れてきた。

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「俺、小説を書いている」

2016年07月13日 16時34分05秒 | Weblog

 「オレ、今な、小説を書いている」。高校の新聞部の仲間が集まった時、彼はちょっと自慢気にそう言った。「古代から現代まで、時空を自由に超える話だ。芥川賞をもらったら、みんなにもおごってやるから」と続ける。「芥川賞は将来性のある作家に贈られるからこの歳じゃー無理だね。せいぜい本屋大賞じゃーないの」と冷やかすと、「まあ、今に見ておれって」と笑う。

 70歳を超えてもまだ小説家を夢見ている。現実が見えていないと笑われそうだが、そんな馬鹿馬鹿しいことに夢中になっていられることが羨ましい。「オレのさ、豊富な恋愛経験がベースになって、時代を超えて行くのさ」。ああ、知っている。結婚も何度もしたし、高校時代も好きな女の子が何人もいた。特にちょっと色黒だったけど、どことなく官能的な雰囲気が漂っていた、大人っぽい女の子に夢中だった。

 ピチピチのセーラー服を着ていて、夏は短い丈だったから素肌が見えて困った。「胸も大きかったんだぞ」と言うので、「えっ、見たの?」とみんなが声を揃えた。「見たかった」「やっぱり」。ただひとりの女性部員が「どうして男性はそんなに胸を見たがるの?大小はあっても変わらないわよ」と釘を刺す。それはそうなんだけど、惹かれるように出来ているから仕方ない。

 隣りに座った女性の足を見て、ドキッとした。スカートの下から惜しげもなく投げ出された足はとても白かった。美術室にある石膏像のように、細っりとして美しかった。彼は「触ってもいいですか?」と聞いた。女性は黙ってうなずいた。小さくて細長い足は湿っていた。どんなに長い間握っていても冷たかった。彼はただ満足だった。川端康成の小説『眠れる美女』の老人もこんな心境で女の子を眺めていたのではないか、そう思った。

 形のよい冷たい足にもう一度触ってみたい。彼は夢の中で、子どもの頃、母親の胸に抱かれた時の甘い匂いを思い出していた。白い足の女性の胸を想像していた。時空を超える小説がどんなものなのか、妄想の世界は次第に広がっていった。今晩は名演の7月例会、文学座の『セールスマンの死』を観る。

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歳を取ると悲しいことが多い

2016年07月12日 17時57分08秒 | Weblog

 歳を取ると悲しいことが多い。席を立ったのに、何をするつもりだったのか忘れてしまい、もう一度席に着いて思い出す。日常はそんなことの繰り返しだ。岩倉市にある『舩橋楽器資料館』は、世界中の民族楽器がある貴重な個人資料館だ。その館長の舩橋さんが脳出血で倒れられたというので気になっていたのに、なかなか時間が作れなくて行けずにいたが、幸いに今日は車もあったので行ってきた。

 資料館に着くとどこかで三味線の音がする。裏手に回ると舩橋さんが三味線を奏でていた。「お元気になられてよかったですね」とあいさつする。カミさんも来られて、「やっと退院してきたばかりです」と当時の状況を説明してくれた。舩橋さんが「三味線はまだうまく弾けません」と言いながら、テーブルの上の須磨一元琴を弾き出した。「うまいものじゃーないですか」と私が言うが、「まだ左手がうまく動かないのです」と舩橋さんは言う。

 それからひとしきり音楽のルーツの話になった。個人の収集館だが、このまま離散させたのではあまりにも惜しい。ますますそんな思いが募った。「子どもの頃は思い出せても、昨日のことが思い出せなくて」と舩橋さんが言う。「そんなことはみんな同じですよ。気にする必要はありませんね」と自分にも言い聞かせる。大和塾の季刊誌『風』の代金が払ってあるのか否か、分からなくなっているのだ。通帳には金額が書き込んであるから、あとは領収書を探すだけだが、領収書は会計さんが所持しているので見せてもらう必要がある。

 私の知り合いに長い間、生活を共にしてきたけれど籍は入れない内縁関係だった女性がいる。相手が亡くなり、親切心から行方知れずの子どもを探し出し、葬儀を行った。入院していた時の費用も葬儀の費用も彼女が負担した。相手が残した通帳も保険も家の権利書も、子どもに「お父さんが残したものだから大事にしてね」と全て渡した。それが今、「おばさん、この家から出て行ってくれる」と言われている。

 本当に歳を取ると悲しいことが多い。

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老いぼれた護憲保守の嘆き

2016年07月11日 18時11分07秒 | Weblog

 参議院選挙の結果はマスコミの予想通りとなり、改憲派4政党の後退を願った私としてはとても暗い気持ちだ。まだ、データーが揃わないので選挙の中味を分析することは出来ないが、衆議院に続いて参議院も改憲勢力が3分の2を占めたことは確かだ。安倍首相は「私が改憲するわけではない」と言うが、その通りで、「国会が発議」することになる。そのために憲法審査会で論議という形式を経る。

 安倍首相の任期は平成30年9月までだから、この2年の間に「改憲」に踏み切る可能性は極めて高い。改憲まで信任していないと有権者が思っていても、国会で3分の2を与えたのだから止めようがない。選挙では、自民・公明は憲法には触れずに、「安定した政治」(自民)、「経済再生」(公明)とアナウンスしていた。これに対して野党は「平和主義が脅かされている」(民進)、「安保法と改憲が争点」(共産)、「立憲主義を取り戻せ」(生活)と主張していた。

 豊かで安定した暮らしを求める国民にとって、野党の主張は「念仏」のように聞こえたのだろう。18歳以上と投票年齢を下げたけれど、投票率は上がらなかったばかりか、自民・公明が得票を伸ばす結果になった。私が投票所に出かけた時も若い人は全く見なかった。午後6時の時点で、投票率が前回を下回っていると報道され、悪い予感がした。人々は政治に不満を持ちながら、関心を失っていく現象が世界中で起きている。

 「政治は信頼するものではない」と多くの人々が考えているのだろうか。選挙に行っても何も変わらないと思っているのではないのか。そうなれば、投票率はどんどん下がる。政治不信が政権に信任をあたえ、政権の独裁化を育んでいる。投票した人が「改憲まで信任していない」と叫んでも、結果的に改憲できる勢力を生み出したのだ。さて、どうなるのか、老いぼれた護憲保守はただ嘆くばかりだ。

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高校合唱部OBの演奏会

2016年07月10日 18時51分02秒 | Weblog

 投票に出かけ、その足で名古屋市民会館での『siolin』演奏会に行ってきた。『siolin』とは塩田さんの愛称のことで、北高混声合唱団を指揮された方だ。北高混声合唱団は昭和54年の合唱コンクールで優良校に輝いている伝統校である。コンクールに向けて三重県尾鷲で合宿をしたことがプログラムに書いてあった。

 そうか、あの頃はどこの学校でも県外での合宿が許されていたのかと当時のことが懐かしく蘇ってくる。私は別の高校に勤務していたが、吹奏楽部の生徒が私に「顧問になってくれ」と頼みに来た。私は楽譜も読めない音楽音痴だからと断ったが、「名前だけでいい」と言われて引き受けてしまった。

 夏休みの前に生徒が「合宿をするので生徒指導部に書類を出しておいて」と言う。「どこでするの?」と聞くと、「高山の手前の久々野です」と答える。ところが久々野からさらに山奥にある民宿での合宿だった。私は結婚して長女が1月に生まれたばかりだった。「近くに秋神温泉があるから、先生はそこに泊まればいい」と教えてくれる。秋神温泉の宿は本当に素晴らしいところだった。

 合宿で何をするかは全て生徒が決め、楽器の運搬はヤマハの店員がやってくれたので、私はカミさんと長女の3人でのんびり過ごした。卒業生が来てパート毎に指導し、最後に合同練習をして仕上げていく。私の高校時代に比べると、さすがに都会の生徒だと思うほど自主的だった。名ばかりの顧問だった私なのに、未だに「先生」と慕ってくれるからありがたい。

 演奏会が終って玄関ホールに出てくると、人の輪が出来ていて歌声がする。合唱団の人たちを中心に同校のOBが校歌を歌っているのだ。その姿はステージの上のような緊張感はなく、何とも言えない温かな仲間意識に満ちていて、とても感動的だった。演奏会の最後に、車イスで塩田さんが現れ指揮をした時も心動かされたが、この光景は胸を打った。

 さてさて、今日の参議院選挙はどのくらいの投票率になるのだろうか。高い投票率で安倍政権にノーを突き付けられるといいのだが、締め切りまであと1時間ほど、ぜひ投票に出かけて欲しいと願うばかりだ。

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明日は参議院選挙の投票日

2016年07月09日 18時15分01秒 | Weblog

 無抵抗の人たちを人質に銃撃戦があったり、黒人の射殺に抗議するデモの最中に警察官への銃撃があったり、爆弾テロがあったり、バラバラ殺人事件が相次いだり、一体どうなっていくのかと不安になる。「大きな転換期にあるのではないか」と先輩が言う。「アベノミクスは完全に失敗したのに、まだ『さらにエンジンをふかせよう』などと言っているが、世界全体がおかしくなっているのに無理だ。新自由主義ではどうにもならん」と。

 「この雨を栄養に、キュウリやトマトはすぐ倍の大きさになってしまう」と、1坪農園で育てた野菜を先輩が持ってきた。「野菜も経済もコントロールは出来ない。人間が出来るのはその手当だけだ。恩恵に預かることに感謝だよ」と先輩は言う。獲れたばかりの野菜は甘くてパリパリしていてとても美味しい。

 いよいよ明日は参議院選挙の投票日。自民・公明は議席数を伸ばすと言われている。若い人たちが投票に出かけても変わらないのだろうか。国民の幸福度が高いデンマークやスウェーデンは投票率が高いので、幸福度と投票率は比例すると言う学者もいる。こういう国、こういう社会をつくりたいという意識が高いのではないかと思う。

 『私の戦後民主主義』(岩波書店)の中で、上野千鶴子さんが「わたしは長いあいだ投票に行かなかった」と告白している。「棄権は権力への暗黙の同意を意味するというあたりまえの事実に気がつき、無力感にさいなまれながら投票所に足を運ぶようになった」と。棄権・白票も政治的な意思表示と言われたことがあったが、結果的には多数派への同意であり、意に反して賛同したことになってしまう。

 自民・公明は、野党が批判するように、戦争をするために憲法を変えようとしているわけではないが(安倍首相は戦争も辞さないが)、憲法を変えれば戦争が出来る国になることは確かだ。自民・公明の議席を伸ばさせないために、多くの人が投票に出かけて欲しいと願う。

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