友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

若者たちは誰に、どの政党に、投票するのだろう

2016年07月08日 17時34分40秒 | Weblog

 夜になっても暑苦しい。窓を全開にしておけば結構涼しいのでまだ、昼も夜もエアコンは使っていない。いつでも使えるように掃除はしたが、エアコンがなければ死にそうというほどの暑さではない。そればかりか、夜に冷たい風で目が覚め、慌てて窓を閉めたこともある。ぐっすり眠っているつもりでも、眠れていないのか昼食後はとても眠くなる。

 大学生の孫娘を駅で拾い、小1の孫娘の誕生祝を買いにイオンモールに出かけた。平日なのに随分な人出だ。小1の孫娘のリクエストは、雨傘・カッパ・長くつの3点セットで色は紫という。小1で紫色は不似合いだなと思ったが、幸いにもと言うか、不幸にも紫色の物がなかったので、可愛い赤色の物にした。これくらい目立つ方が交通事故のことを考えると適している。

 大学生の孫娘は8月生まれだから、「早めのプレゼント」と言うことで、彼女が欲しい品物を探して回る。「デフレからの脱却」と言われているが、確かに品物はどれも驚くほど安い。サマーバーゲンで20から70%OFFの張り紙が出ている。ブラウスが1500円で売られていたが、よく見ると2枚での値段だった。どこの店も驚くほど安い。

 気楽に買える品物が多いことは消費者にはありがたい。デフレでいいじゃーないかと思うが、こんなに安いと企業としては儲けは少ないだろう。企業は儲けを留保しておきたいから、働く者に金を回そうとはしない。だから給料はなかなか上がらない。大学生の孫娘の知り合いの男性も給料が上がらないので、「もっといいところに転職しようかな」と言っているそうだ。

 「彼を引き抜いてくれる会社があるの?」と聞くと、「ハローワークで探すみたい。でも、前の会社をどうして辞めたのかと必ず聞かれるわよ。今の会社が楽しいなら続けてもいいのではと話した」と言う。彼は結婚したい女性がいるようだが、今の給料では生活できないからもっといいところに移りたいのだ。果たしてそんな職場があるのだろうか。

 この若者たちはどういう候補者に、いやどの政党に、1票を入れるのだろう。

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無性に人恋しくなる

2016年07月07日 18時07分48秒 | Weblog

  (中国の人が描いた絵)

 今日は七夕、1年に1回でも出逢えるならいい。もう何年も会えずにいると、不思議なことだが忘れるよりも愛おしさが増していく。歳を取ったせいかも知れないが、諦めるよりも執着が強くなるような気がする。若い時ならいつでも会える、けれど年老いてくるともう会えないのではないかという寂しさからか、無性に人恋しくなる。

 政府は、病院ではなく自宅で最期を迎える「在宅みとり」を推進している。在宅で亡くなる人は1950年頃80%を超えていたが、1970年代後半では病院・診療所での死亡割合が在宅死を上回った。1990年代からは、在宅死は10%で推移している。「在宅みとり」の割合が多い自治体は比較的「都会」と言われる地域である。

 政府が「在宅みとり」を推進しても、たとえば訪問診療のような、それを支える体制がなければ難しい。また逆に、病院数が多くあり受け入れてくれる地域では「在宅みとり」が少なくなる。どこで最期を迎えるか、本人や家族が決められる社会が一番良いだろう。医療費負担が高くなるからと、「在宅みとり」を推奨するのはいかがなものか。

 政治は人々が選択できる範囲を広くすることであって、行政が自分の都合で決めることではない。「住民の多様な要求に応えていては、行政はパンクしてしまう」と行政マンは言うけれど、住民の要求に応えられないのであれば辞めてもらうしかない。行政マンが知恵を出せば解決できる事業はたくさんある。それをしないのは安住に胡坐をかいているからだ。

 七夕は悲しい恋の物語だが、1年にたった1回の逢瀬で何を語り尽すのだろう。話などしなくてもただ身体を寄せ合っていればそれで幸せなのかも知れない。人の幸せは人それぞれ、それが許される社会であって欲しいと七夕の夜に願う。

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思い込み、固執していないかと振り返る

2016年07月06日 18時14分16秒 | Weblog

 「どうしてみんな揃って国歌を歌わないのだ。もぐもぐするのではなく、口を大きく開けて国歌を歌いなさい。国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」と、リオ・オリンピックの壮行会で大会組織委員会の森喜朗会長は苦言を呈した。国歌は愛国心を鼓舞するものであり、歌わないのは愛国心に欠ける証だと思ったのだろう。

 実は「国歌斉唱」ではなく、陸上自衛隊の歌姫による「独唱」で、場内アナウンスもそう告げていたが、森会長は聞き逃したのかも知れない。「独唱」と言われても、「斉唱」するものだという考えだったのかも知れないが、お叱りを受けた選手の皆さんは気の毒だ。でも、こういうことは意外によくある。こういうこととは、自分の考えに固執して押し付けてしまうことだ。

 相手が何を言いたいのかをよく吟味もしないで、「それは違う」と言い切ってしまえば相手から次の言葉を引き出すのは難しくなる。話し上手な人は自分の考えを言わずに、「ええ、それで」と相手が話しやすく出来る人だ。しかし、それでは自分の考えが相手には伝わらないから、一方的に聞くだけになってしまう。

 参議院選挙の終盤だが、意外に街宣車から声が聞こえてこない。今朝の中日新聞は、「改憲4党(自民、公明、おおさか維新、日本のこころ)3分の2強まる」の横見出しと、「自民単独過半数の勢い」と縦見出しだった。誰かが言っていたが、「野党が勝っても政権交代はないが、与党が勝てば憲法改定に向かうだろう」と現実味を帯びてきた。

 私の基本は「戦争をしない政府」だから、改憲4党には絶対投票しない。経済成長して給与が上がって欲しいと考える人を否定しないが、経済は政治の力ではコントロールできないと伝え、だからまず、戦争をしないことを第1に選びたい。待機児童ゼロや給付型奨学金や地震対策や、諸々の国民が望んでいる政策は実現しなければ、国民の支持を失うからスピードの差だけだろう。

 思い込み、固執していないか、もう一度振り返ってみよう。

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愛し合い、求め合い、許し合い、耐え合う。

2016年07月05日 19時00分49秒 | Weblog

 上野千鶴子さんの市民講座が終わり、その時に販売した書籍の売上げ金を振り込みしたり、その時配布した季刊誌『風』を市民活動推進課や教育委員会に持って行ったり、『風』に原稿を寄せてくれた講師の皆さんに郵送したりと、やることが続いた。残るは9月24日の姜尚中さんの市民講座だけとなり、やっとここまで来たかと思うと何だか気が抜けてしまった。

 そんな時、知り合いから電話が入った。その女性は結婚というかたちをとらずに同棲していたが、男が亡くなり、男のひとり娘も「お世話してもらったのだから」と、女性がその家に住み続けることに同意した。ところが最近になって、娘さんから「孫が生まれたので、出て行って欲しい」と言われたのだが、ここには友だちも多くいるので出て行きたくない。どうしよう?という相談だった。

 女性と娘さん家族と女性の家族も加わり、話し合うのが一番ではと話すと、その段取りだが法律的なことがさっぱり分からないので弁護士に教えてもらいたいと言う。もちろんその方がよいということで、私の知り合いの弁護士のところに相談に行くことになったが、そう結論が出るまで30分ほどかかった。半分は彼女の言い分を聞いて欲しいということだった。ひとり暮らしの女性は話す相手が欲しいのか、どうしても長話になってしまう。

 上野千鶴子さんの講演の時に、長女のダンナのお母さんが朝日新聞の切り抜きを持ってきてくれたが、講演の後の質問の時間にちょうどその記事について手を上げる人がいた。記事は「ささいなことへの怒りの爆発、お互いにたいする思いやり不足、時にはいわれのない嫌悪感の表出など、認知症的夫婦の不幸な関係の現れと言わざるを得ません。以前は、このような関係では決してありませんでした」という相談で、回答者が上野千鶴子さんだった。

 「夫婦といえども他人は異文化、異文化はストレス、あたりまえのことです。それに耐えるのは愛がある間だけ」と上野さんは言う。男と女は、愛し合い、求め合い、許し合い、耐え合う。きっとそういう存在なのだろう。

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上野千鶴子さんに保守と言われてビックリ仰天

2016年07月04日 18時12分28秒 | Weblog

 「物事を流動的に考えられない人のことを保守と言うのです」と上野千鶴子さんは断言する。私は自分を保守的と思ったことがなかったが、思ったことがないこと事態が保守的なのだと分かった。上野千鶴子さんの市民講座にはたくさんの人が来てくださった。私が年賀状を出している旧友も駆けつけてくれたけれど、初め、声をかけられても分からないほど久しぶりだった。

 『女性活躍を阻むもの』というテーマだったが、話はかなり多岐に亘った。今日の社会を例えると、「ドロ舟の上で博打を打っている」ようなものと言う。年金の資金を投資に使っていることを指している。「こんな社会に誰がした」と言うなら、それは政治の責任で、その政治を支えてきたのは皆さん自身と指摘する。戦争に女性は責任はなかった。なぜなら投票権がなかったから。でも、政治に参加してきた311には責任があると。

 企業は女性の労働力が絶対に欲しい。そこで男女雇用均等法と労働者派遣法がセットで出された。女性活躍は労働力と購買力の原点であるが、正規労働者と非正規労働者とに分断され、このため女性の貧困率も高くなっている。こう分析するが、女性が活躍している企業は大きく伸びているとも指摘し、企業に女性の正規雇用を求める。

 上野千鶴子さんも大人になられたというか、大人しくなられた。男性が家事や育児に時間を費やすことが男女共同参画社会になるのか、男が女になることで解決するのかと私が疑問を呈すると、「それは解決になります」と断言された。「女が男のように働くことではない」と以前、言われていたが、どうやら男も女も同じように働くことで新しい社会の仕組みを作り出せということのようだった。

 「これからは男がひとり働けば一家が生活できる社会ではない。みんなが働いて、小銭をかき集めて暮らすこと」と。それはそうだけど、働くことや家庭の意味は?男と女のあり様は?と思ってしまう。そしてまた、そんなことにこだわるから保守的なのかと再び堂々巡りを繰り返してしまった。

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明日の市民講座の講師は上野千鶴子さん

2016年07月02日 17時24分51秒 | Weblog

 人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。人間はみな平等、男も女も平等。学校ではそう教えてもらった。なのに、級長は男で、副級長は女だった。応援団長は男が務め、女の子は旗や鉢巻を作る係りだった。デモでは最前列と両脇は危ないからと男で固め、女は真ん中だった。デモから戻り一休みすると男は女に「お茶!」を求めた。人間の尊厳を求めて共に戦いながら、一体どういうことなのだ。ここが上野千鶴子さんの原点のようだ。

 私の両親は教員で共働きだったが、父は家事には一切かかわらなかった。それは祖父母と同居していたからだと思っていたが、姉に言わせると「家では何もしない人だった」らしい。私も結婚して共に暮らすようになっても、台所に一緒に立つことはなかった。子どもが生まれ、手がかかることが分かって、少し手伝うようになった。今も、求められれば台所に立って料理もするが、忙しくない限りはカミさん任せである。

 男女共同参画では男はもっと家事や育児に時間を使うべきだと話題になる。学校では男女別名簿をやめて混合名簿になってきている。管理職に女性が占める割合を増やすようにと言われている。男性も育児休暇を取るようにと勧奨されている。地下鉄に乗ると女性専用車両があるが、あれは性差別にはならないのだろうか。世の中は男と女で成り立っていると思うのは間違いで、男でも女でもない人もいる。

 性の区別も難しいし、性による役割分担も人によって見方が違う。現在の自分の置かれた状況から、「女は強く、男は弱い」と言う男性もいる。女性たちから不満の声は上がるのに、男性から「性差別だ」という声は聞こえない。男と女が互いを尊重し、互いを求め合い、そして誰もが気持ちよく生きられる社会はどうあるべきなのだろう。

 明日、7月3日(日)の午後2時から北名古屋市文化勤労会館小ホールで、上野千鶴子さんを講師に迎えて大和塾市民講座『「女性活躍」を阻むもの』を開催する。先着順で入場無料。誰でも自由に参加できる。このため明日のブログは休みます。

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病院の待合室

2016年07月01日 18時12分42秒 | Weblog

 「暑い、とろけてしまう」と誰かが言ったが、本当にそうだ。冷房の効いた所から外に出ると、まるで熱風が吹いていると感じる。今日は1年に2回あるペースメーカーの検査日で、久しぶりに名古屋へ出かけた。電車の中では本を読む人は誰もいない。ほぼ全員がスマホをいじっている。若い人だけではない、50代と思われる女性も細い指でゲームに夢中だ。

 これだけの人がスマホを持ち、操作が出来るのだから、ゲームではなくてもっと何か役に立つようなものが生まれないだろうかと思う。きっと次の段階ではそんな何かが生まれるだろう。病院ではまず心電図を取る。ベッドに仰向けになり装置がつけられ、5秒もすれば終わる。こんなに短くて心臓の様子が分かるのかと思いながら、「ありがとうございました」と言って退室する。

 続いて循環器内科に行き、ペースメーカーのチェックを受ける。診察時間は午後3時半だが、それより早く3時に受付をする。午後の場合はどんなに遅くなっても大差ないが、午前の予約は1時間以上待たされることがある。読みたい本を持って行き、読書でもしていれば時間はすぐ過ぎる。

 待合室で座っていると高齢の女性が車イスを押してやって来た。その女性が「こちらがご主人ですか」と念を押すが、「この人は私を放っておいて、さっさと行ってしまうの」と愚痴が先に出る。女性が立ち去ると傍の女性に、「大きな身体でしょう。私の倍は食べるの。すぐ怒ってあの大きな手で叩くから、ホレ、こんなになった」と腫れ上がった脛を見せる。「車イスは大変ね」と女性が言えば、「あの人に叩かれて、転んだ時にお尻の骨を折ったもんだから」と言う。

 夫の方が診察室から出てくるが、ペースメーカー手帳を忘れたようだ。「あんなに私が言ったのに、どうして忘れてきたの」と夫をなじる。どうやら夫の方は認知症のようだ。70代か80代の夫婦だが、言ってることもやってることもズレている。老々介護なのだろうか。しばらくして私の名が呼ばれる。医者が私の顔を見て、「心臓もペースメーカーも異常ありません」と言う。「面と向かって言ってくださったのは先生が初めてです」と私は礼を言う。

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